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堀 栄三(1996)『大本営参謀の情報戦記』

同じ職場の人が読んでいて気になり購入した。

太平洋戦争中の日本軍の戦略的失敗を、諜報活動の視点から描いた体験記。著者は大本営に所属し、戦争の始まりから終戦までの参謀の仕事を記録している。同じく日本軍の失敗を組織を切り口に扱った「失敗の本質」と読むとより理解が深まるのではないか。

誤った大戦果情報

印象深いのは、第一線の日本軍がしばしばエビデンスのないまま戦果を過大評価して報告していたこと。つまり味方の情報が信じられなかった。米軍のように戦果確認機を出して写真撮影を行うことがなかった。さらに日本軍は陸軍と海軍がお互いに連絡することなく、勝手に戦果を報告し合い、二つの大本営があるかのように機能していた。

対米情報活動の軽視

また対米国の情報収集が不足していた。戦前の陸軍は対ソ連、対中国向けの諜報活動を重視し、満州やシベリアでの陸戦を想定していたため、米国の動きを読めず、ニューギニア、ソロモン諸島では正確な地図も用意できないまま、ガリ版刷りの地図で戦っていた。米国本土の産業状況も不足しており、原子爆弾の開発情報は一切掴めていなかった。

飛び石の思想

日本と米国は太平洋の島々に異なる戦略的見解を持っていた。日本軍は近くに米軍が出現した時に航空母艦代わりに爆撃機や雷撃機を進出させるために、米軍は制空空域を占拠するため。実際に小笠原諸島を含めて日本が守備隊を設置したのが25の島、米軍が実際に上陸したのは8つであり、残りの17の島は放ったらかしにされた。補給路の絶たれた島で餓死することが見えていたため。