ESG取組の評価基準の一つであるCDPと株価の関係についての実証研究を紹介します。
ESG評価とCDP
CDPとは、ロンドンに本部を置く非営利団体の名称であり、時価総額の上位企業向けに環境取組や温室効果ガス排出量の開示を求めるプロジェクトの名称でもあります。民間の団体が運営しているため、CDPでの情報開示には法的な義務がある訳ではありません。CDPは対象となる企業向けに毎年質問書を送付し、回答結果をもってA、B、C等のスコアを発表します。2002年より企業向けの質問票の送付を開始し、日本企業には2006年より送付を始めました。年金基金等ESG投資家の委託を受けた資産運用会社は、CDP等の評価結果を元に運用するインデックスの銘柄の入れ替えを行います。CDPへの回答企業数は年々増えてきており、ESG格付け機関としての"スタンダード"の地位を獲得しつつあると思います。したがって、あくまでCDPでの情報開示(回答)は任意であるものの、実質はある種の強制力が働いている、と考えてもよいのではないかと思います。強制力というのは投資家等ステークホルダーから企業が受ける外圧です。
CDPでの情報開示は株価を高めるか
CDPでの情報開示の有無と株価の関係について分析した先駆的な研究が、Kim and Lyon(2011)です。彼らは、2003年から2006年までにCDPでの情報開示を行った企業はそうではない企業と比べ、株価は上昇するという仮説を検証しました。
Kim and Lyon(2011)
Kim Eun-Hee & Lyon Thomas, 2011. "When Does Institutional Investor Activism Increase Shareholder Value?: The Carbon Disclosure Project," The B.E. Journal of Economic Analysis & Policy, De Gruyter, vol. 11(1), pages 1-29, August.
彼らはイベント・スタディと呼ばれる、ある出来事(ここではCDPにおける情報開示)が株価にどのような影響を与えるかを分析する手法を用いました。イベント・スタデイのコンセプトを理解するには、以下3つのリターン(投資によって得られる収益)を押さえておく必要があります。
- 正常リターン(NR ; normal returns)
- 異常リターン(AR ; abnormal returns)
- 累積異常リターン(CAR ; cumulated abnormal returns)
まずは当該企業の株式リターンを被説明変数、市場ポートフォリオを説明変数とした単回帰(1)を推定します。

(1)で得られたα、βの推定値を使って、異常リターンを算出します。

異常リターンの総和をとると、累積異常リターンが求まります。ここではT=250つまり250取引日だと仮定されました。

上記の方法で得られた累積異常リターン(CAR)を被説明変数とする重回帰を推定します。説明変数は、
- CDPでの回答ダミー
- GHG集約型産業ダミー
- 従業員数
- 収益
の4つです。CDP回答ダミー以外はコントロール変数です。元々環境取組が進んでいる企業がCDPでの情報開示を行う可能性(セレクションバイアス)に対処するため、環境取組の進展度合いと関係しそうな変数をあらかじめ推定式に含めておきます。複数の推定の結果、いずれの場合においても、CDPでの回答が株価を高めた、という結果は得られませんでした。
仮説が正しくなかったことに対して、Kim and Lyon(2011)の結論部分では「CDPへの参加が完全に自発的なものではなく、株主、規制当局、CDPに参加している機関投資家からの圧力の結果であった」と記しています。つまり法規制への対応のような形だと、環境取組の良し悪しに関わらず企業が情報を開示するため、情報開示を行ったからといってその企業の株価が高くなることはないということです。
全米製造業協会委託調査(2018)
Kim and Lyon(2011)の結果を踏まえ、2018年に公表された全米製造業者協会の委託調査報告書においても同様の分析が行われました。
National Association of Manufacturers(2018) "Political, Social, and Environmental Shareholder Resolutions: Do They Create or Destroy Shareholder Value?"
この報告書ではKim and Lyon(2011)に倣い、2017年の米国企業のCDP回答結果を用い、異常リターンを推定しました。下図は対象となった767社の異常リターンの推定値の分布を示します。異常リターンの多くはゼロ付近に分布しています。

次に、累積異常リターン(CAR)の推定です。基本的な推定式はKim and Lyon(2011)と同じですが、CDPでの情報開示ダミーに加え、CDPのスコアも説明変数に加わりました。つまり、CDPでの情報開示の有無だけではなく、CDPの開示結果(A,B,C,D)によって株価への影響が異なるのか、と少しリサーチクエスチョンが拡張されました。コントロール変数には、従業員数、総収入、エネルギー・素材セクターダミーです。
しかし推定結果からは、CDPでの情報開示ダミーとCDPスコアのいずれも、係数の推定値が有意・プラスにはなりませんでした。また、2013年のCDPでの回答を説明変数にした場合も結果は有意とならず、より長期的な影響も示されませんでした。加えて、より気候変動関連の規制にさらされるリスクが高いと考えられるエネルギー産業にサンプルを限定した推定においても、結果は変わりませんでした。
企業価値をどう考えるか
いずれの先行研究においても、CDPでの情報開示が株価を高める、という結果は示されませんでした。この結果をもって「ESG取組と財務パフォーマンスはやはり関係ない」と結論づけることはできるのでしょうか。
忘れてはならないのは、ESG投資の資金の出し手は長期運用を前提とする機関投資家等であり、個別銘柄について単発的な取引を繰り返すトレーダーではありません。ESGへの取組もまた、目先の資金調達をクリアするためではなく、持続的に収益を上げるために行うものです。企業の価値向上そのものが長期的な概念であるのに対し、イベントスタディのようなインパクト評価の手法は、数日から数年といった比較的短期の効果を検証するためのものです。もしくはESG投資自体の歴史が新しいため、検証に耐えうる十分な長さのデータの蓄積がない、とも言えるのではないでしょうか。
もう一つはESG取組のアウトカムの定義の問題です。つまり株価が上がることは持続的な企業価値の向上を意味するのか、という問題です。当たり前ではありますが、上場していない企業にとっては投融資家の判断軸にESGが入ったところで関係なく、それは株式での資金調達を必要としない企業にも当てはまります。株価というのは取得が容易なデータの1種であることには変わりはありませんが、株価を企業価値と認知すべきかどうかという別の問題も生じます。
ESG取組が財務パフォーマンスに与える影響。企業価値を向上させるというESGの目的と、評価方法の時間軸の違い、企業価値という目的に対する株価という指標の対応等、まだまだ実証研究上の課題は多く思えます。と同時に、今後も実務者、学界の双方にとって重要なリサーチクエスチョンであることに違いないと思います。
読んでいただいてありがとうございました。
参考文献
- 竹内純子 拡大する「ESG投資」の課題は何か 環境管理 | 2018年11月号 | Vol.54 No.11