明けましておめでとうございます。2020年に引き続き、2021年に読んだ本・観た映画を振り返ります。読んだ本は2020年は21冊だったので、毎年せいぜいこれくらいのペースなのかもしれない。沖縄関係の4冊以外はほとんど人から勧められた本でした。本屋には頻繁に行くのですが、なかなかタイトルだけを見て買うことが少なくなったような気がします。それでは行ってみましょう。
小説
ベン・マッキンタイアーの2冊はバーのマスターに勧めていただいたもの。
ベン・マッキンタイアー(2020)『KGBの男』
とにかく一気に読めてしまうほど展開に飽きが来ない。映画化してほしい。
主人公は諜報機関KGBのオレーク・ゴルジエフスキー。舞台は1960年代、世界が二つの陣営に分割された東西冷戦時代。ソビエト出身のゴルジエフスキーはKGBに属しながらも、母国の共産主義体制のあり方に疑問を持ち、英国MI6の二重スパイとなる。
外交官としてソビエト連邦外のデンマークに出向したゴルジエフスキーは、祖国を振り返り「窒息するような場所」だと感じるようになる。文化的に豊かなデンマークと、退廃的なソビエトとの違いを強烈に感じた場面である。
彼が精神的に何よりつらかったのは音楽だった。愛国的な雑音が、街角という街角に設置されたスピーカーから流れてくる。共産主義の教義に従って書かれた、退屈で、大音量の、聞きたくないと思っても耳に入ってくる、スターリンの音楽が流されているのだ。彼はこれを「全体主義的不協和音」と呼び、これに毎日襲撃されているような気分だった。
共産主義の道徳を強制するため、国家に反すると見なされたものは摘発され、刑罰が与えられる。市民に自由はなく、互いに監視を行い、家族間であっても本音は話せない。この書籍は、一人の二重スパイの人生を通し、我々はどのような社会に暮らしたいのかを考えさせてくれる。共産主義のソビエトと、西側諸国のデンマークや英国との比較が、マクロな政治システムの形ではなく、個人の価値判断の問題にまでブレイクダウンされて描写されている。
ベン・マッキンタイアー(2015)『キム・フィルビー』
KGBに属しながら西側諸国のために身を捧げたゴルジエフスキーと対照的なキャリアを歩んだのが、キム・フィルビー。英国MI6に所属する彼はKGBの二重スパイだった。ゴルジエフスキーと比べると、キム・フィルビーには明確な信条やイデオロギーに傾倒した描写がなされておらず、掴みどころのなさを感じた。多くの人に信頼され、それでいて欺瞞を愛し、遂に誰も信頼することのできなかった人生。誰かに理解されようと心を開く勇気をもてず、孤高さを振る舞うことでしか自分を慰められない人間の弱さのようなものを感じた。しかしそれもまた、人間の魅力なのかもしれない。
太宰治(2004)『惜別』
初版は1945年発売。これまで自分が持っていた太宰治の滅びの美学というか破滅的なイメージを覆させられた一冊。主人公の魯迅(周さん)は、日露戦争の勝利に湧く日本、孫文の三民主義が支持され革命の気運が高まる中国(清)を俯瞰し、表面的には熱狂的な愛国心が表れているものの全体主義・思考停止のような人々の振る舞いに馴染めない、と語る。「真の愛国者は国の悪口を言うものだ」というセリフは、憂国の士であった太宰自身の思いではないか。
解説にも詳しく記載があったが、太宰は戦時下で無用と見なされた文芸の存在意義を世に問おうとしていた。当局に忖度する同世代の作家を横目に、魯迅の口を借り、文章の本質についての短文を語らせている。文章には政治のように人々に対して指導力を持つ意味での「用」はない。国の存続にかかわる実利はない。しかし徐々に人々の心に染みわたり、それを充足させる「用」はある。これが「無用の用」である。
2020年、2021年はコロナ禍により「不要不急」という言葉が広く使われるようになった。特にエンターテイメント業界は連日存在意義を問われているような状態だったのではないか。文芸の用と国家を憂えた太宰の思いはこの時代に通ずるものを多く感じた。
誰にも目撃せられていない人生の片隅に於いて行われている事実にこそ、高貴な宝玉が光っている場合が多いのです。それを天賦の不思議な触覚で探し出すのが文芸です。(中略)文芸が無ければ、この世の中は、すきまだらけです。文芸は、その不公平な空洞を、水が低きに流れるように自然に充溢させていくのです
司馬遼太郎(1994)『空海の風景』
遣唐使として長安に渡った空海は、当初20年過ごす予定だったところ、わずか2年余りで日本に帰国する。早々と真言密教を会得し、20年分の予算を一気に使い、仏具と経典の写しを手に入れた。このレバレッジというかせっかちな生き方に気付かされることがある。ちょうどこの本を読んだいたタイミングで、高野山の宿坊・普賢院に宿泊し、写経を経験することができた。また金剛峯寺(千住博の日本画)、高野山大学を見学した。また東大阪にある司馬遼太郎記念館にも訪れた。2020年には唐から戻った空海が鎮護国家の修法を行った高雄山寺にも行ったので、何かと空海とは縁があるのかもしれない。
真言密教はなかなか理解できないが、金剛峯寺の根本大塔や、金剛界と胎蔵界の曼荼羅などを見ると、やはりビジュアルとして美しく感じる。
沖縄関係
今年はちょっとしたお仕事の機会をいただき、沖縄・那覇を3度訪れた。以前から気になっていた沖縄の軍用地や土地利用について興味が湧き、新書を3冊まとめて読んだ。
新崎 盛暉(2005)『沖縄現代史』
那覇市街には「軍用地取引」に関する看板が並ぶ。軍用地とは米軍基地として利用される土地を指し、元々個人所有だった土地を米軍の代わりに国(政府)が借り上げ、地主に借地料が支払われる仕組みである。土地が返還されない限りは、毎年一定の借地料が地主の手に入るため、不動産投資のように軍用地の権利が売り買いされている。軍用地は借地料という確実なリターンを生む反面、県内の産業育成の足かせにもなる。
新崎(2005)は1973年の沖縄県の日本復帰後、日本政府による軍用地対応の矛盾点とそれが引き起こした問題を指摘する。この矛盾によって引き起こされたものの一つが、同一面積あたりの軍用地料とサトウキビの買い上げ価格である。
1972年の沖縄の日本復帰後、安保条約や地域協定における「施設及び区域」(米軍用地)の提供は、日本政府の義務になった。しかし沖縄の軍用地の大半は強制接収されたものであり、3万人を超える地主からは軍用地提供のための賃貸借契約を拒否する者が多く現れると予想された。そこで日本政府は沖縄復帰と同時に軍用地使用料を約6倍に引き上げた。
政府は、沖縄農業の基幹作物としてサトウキビを重視し、その買い上げを行っていた。復帰の翌年、1973年のサトウキビの生産額(農林省買い上げ額)は約138億円、収穫面積は、2万3360ヘクタール。これに対し、軍用地料は、約182億円。米軍用地のうち軍用地料の支払いを必要とする民・公有地は約1万8670ヘクタールとされていたから、1ヘクタールあたりの軍用地料は97万円、サトウキビは59万円になる。
サトウキビを育てるするよりも、軍用地の方が稼ぎがよい。また軍用地の収入は天候によって左右されるものでもない。サトウキビに限らず、そもそも第一次産業の割合が1%強の沖縄は農地利用に適していなかったと結論づけることもできるかもしれない。しかし高額な軍用地料が農業労働に対するインセンティブを削ぐ一要因になったとは言えるのではないか。
櫻澤 誠(2015)『沖縄現代史- 米国統治、本土復帰から「オール沖縄」まで』
沖縄県の日本復帰後、年々軍用地の返還が進んでいる。返還された軍用地はどのように開発されたのだろうか。沖縄県は2006年度に野村総合研究所・都市科学政策研究所に委託し「駐留軍用地跡地利用に伴う経済波及効果等検討調査」を行った。櫻澤(2015)と高良(2017)はこの報告書を引き合いに出し、那覇新都心等、返還後の軍用地の再開発により軍用地収入を上回る経済効果が得られた事例を紹介している。那覇新都心は那覇市の北側に位置するニュータウンであり、返還前は米軍の住宅街だった。周囲を幹線道路に囲まれた約200ヘクタールの広大な土地には、現在商業施設や高層ビルが並んでいる。
櫻澤(2015)では沖縄の所得(県民総所得)構造における基地関係収入(軍関係受取)の占める割合が、1972年復帰年の15%から1990年には5%にまで減少していたことが示されている。「基地経済」という言葉があるものの、90年代の開始時点で既に基地(軍用地)への依存度は相当程度下がっていたことが分かる。「駐留軍用地跡地利用に伴う経済波及効果等検討調査」報告書を踏まえた、軍用地収入に対する沖縄県民の認識の変化についての記述が興味深かった。
沖縄県民の認識は、県民総所得に占める基地関係収入が「5%もある」のではなく「5%程度しかない」のであり、軍用地が返還されれば数倍、数十倍の経済活動が可能で、その機会を失っているという考え方に変化してきている。
経済的に基地依存はやむを得ないという理屈は、沖縄県内ではすでに現実味を失ってきている。沖縄は基地があるがゆえに豊かな生活ができるという主張は、県内所得や失業率が長く全国最下位であり続けてきた一方で、返還地域の再開発が経済効果をもたらしている事実によって、空虚なものとなっているのである。
高良 倉吉(2017)『沖縄問題―リアリズムの視点から』
高良(2017)も櫻澤(2015)と同様に、経済発展の阻害要因というより、軍用地の開発ポテンシャルに視点が向けられていた。
日本の安全保障のために提供された米軍基地という状況は生産的な土地利用ではなく、それに比べると民生的な土地利用のほうが需要は高い、という側面に着目しなければならない。しかしそれ以上に、沖縄本島中南部地区の市街地または市街地に近い返還軍用地は、そもそも開発のポテンシャルがきわめて高いという点を重視すべきである。
元米軍陸軍基地の那覇軍港(那覇港湾施設)も返還が決まっており、今後どのように民生利用されるのかは興味深い。
櫻澤(2015)、高良(2017)で紹介された野村総研の報告書では、経済効果の試算の前提条件として県内他地域からの那覇市への需要移転が想定されている。この那覇市の人口・需要増という傾向は反面、住宅問題という新たなイシューを生んでいる。
高良(2017)は返還跡の土地利用と併せて住宅問題を取り上げる。特に那覇市は東京や大阪に引けを取らないほど人口密度が高い。そして一人当たりの居住空間が狭い。確かに那覇訪問時に慢性的な住宅不足と家賃が下がらないという話は聞いたことがあり、5階以上の階層にもかかわらず、エレベーターのついていないアパートも散見された。ゆいレールからの車窓から、アパートの高層に住む老人が郵便物を確認するため急な階段を上り下りする姿が見えたことを覚えている。
住宅地地価については、従来から沖縄県では米軍基地の存在によって可住地面積が小さいことから、九州でも福岡県に次ぎ地価が高いと指摘されてきた。地価の下落はその程度にもよるが、基地返還によって適正な地価に落ち着くのではないか、との考え方も ある。賃貸 住宅が東京都並みに多い沖縄県では、地価の下落によって持ち家が増えることになれば、新規の住宅地需要につながるほか、ゆとりのある敷地の取得も可能となるのかもしれない。
軍用地は新たな産業や企業誘致だけではなく、住宅地供給としての有効利用も期待できるかもしれない。引き続き沖縄の土地問題には注目したい。
樋口 耕太郎(2020)『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』
「沖縄は基地経済に依存していない」という言説に異を唱えるのが樋口(2020)。確かに基地関連収入は県民総所得の5%にすぎないが、基地関連収入が沖縄経済の外部依存度を測る指標としてはミスリーディングだと説明されている。
「5%」の根拠となる「基地関連収入」は一般に、①軍用地料②軍雇用者所得③米軍等への財・サービスの提供の合計額と定義されている。しかし、沖縄に米軍基地が集中していることの「見返り」として提供されてきた有形無形の補助金、税制優遇、観光プロモーション、政治的配慮による数々のイベントやプロジェクトなどの一切はこの中にカウントされていないし、米軍普天間飛行場の辺野古移設に対する事実上のバーターとして沖縄に提供される一括交付金など、年間3000億円を超える沖縄関連予算はあくまで沖縄「振興」予算であって、「基地」関連経済ではないという建前になっている。
本書はこのように「守られた経済」であるにも関わらず沖縄が貧しいことの原因を、県内の1次、2次産業比率の低さ、補助金への依存等の経済・社会構造ではなく、沖縄の人々の「自尊心のなさ」に着目して説明する。自尊心がないとは、平たく言えば自分を大切にできないこと。自尊心のなさ故、現状維持を好み、同調圧力に屈し、変化やイノベーションを受け入れられず、挑戦しない空気が生まれる。
那覇訪問時に現地の方から「ゆいまーる」について聞いた。ゆいまーるとは元々は農家間の共同作業を指す言葉だったが、それが地縁や血縁にも転じて使われるようになった。ゆいまーるのおかげで、例えば事業が頓挫したときにお互いに助け合うセーフティネットのような面もある一方、ゆいまーるが強力な故、助け合いを超えた親子間での共依存関係も助長しているらしい。引きこもりの男性が多い原因の一つは、高齢な親が彼らを甘やかしているからだと聞いた。
沖縄に限った話ではないが、自尊心が低すぎると貧しくなる、という論理は理解できる。自分は無力だと認識し、ある種のマゾヒズムを持ち、悪い労働条件を受け入れる。そして自分の属するコミュニティから外れることを過度に怖れ、挑戦的な行動がとれなくなってしまう。
自伝・エッセイ
まずは「冗談」という言葉がタイトルに入っている2冊。1冊目は物理学者リチャード・ファインマンの自伝。2冊目は元PLAYBOY編集長、島地勝彦のエッセイ。
リチャード・ファインマン(2000)『ご冗談でしょう、ファインマンさん』
島地勝彦(2011)『人生は冗談の連続である』
どちらも含蓄に富む素晴らしい本だったが、「冗談」の意味するものが若干違っていたように思う。前者のファインマンの場合、冗談は他者による評価であり、本人は冗談だと思っていない。慣習や固定観念に対してフラットに接する態度が、時に面白おかしく受け止められたことを示している。後者の島地さんの場合、冗談とは予想だにしない出来事が起こる人生を例えたもの。どんな苦労や困難であれ、深刻になりすぎず、冗談の心づもりで軽やかに生きることが人生の要諦かもしれない。「要諦」という言葉を知ったのもこの本である。
冗談に溢れた人生とはどのようなものか。反対に冗談のない人生を想像すると分かりやすいかもしれない。予測可能、変哲もない、安定、日が暮れるのを黙って待つ人生。どうせなら他人の人生を笑うよりも、自ら冗談を作り出し、笑われ、冗談を経験し尽くす人生のようがよいなと思う。
続いては昭和を代表するスター2人の自伝。
いかりや長介(2003)『だめだこりゃ』
いかりや長介は名前は聞いたことがあったものの、私がドリフ世代ではなく、なんとなく大御所芸人という印象しかなかったため、ルーツが知れて面白かった。この音楽とコントを組み合わせたエンターテイメントというのは後にも先にも唯一の芸能ジャンルなのかもしれない。厳しいながらも、周りの人の良さを引き出してチームを作り上げる人、という印象。そしてアフリカに行きたくなった。
高倉 健(2013)『あなたに褒められたくて』
こちらはもリアルタイム世代ではないので、昔の映画の中の人という印象だった。ハードボイルドというよりも、素直すぎ、繊細過ぎな印象。善光寺、そしてスペイン・サラゴサの闘牛を観てみたくなった。
安彦良和、斉藤 光政(2017)『原点 THE ORIGIN-戦争を描く,人間を描く』
ガンダムの原作の漫画家、安彦良和の生涯を描いたもの。ガンダムの背景にある思想はどのようなものだろう、ぐらいの気持ちで読み始めたものの、作者が全共闘運動のリーダー、連合赤軍の同級生だったとは予想だにしなかった。当事者の視点から語られる全共闘運動の実態、そして漫画とアニメの表現方法の違いの間で揺れる葛藤が印象深かった。
安彦は北海道で過ごした高校時代に受けた赤化教育が一つのきっかけとなり、全共闘運動(学生運動)にのめり込む。権威に逆らうことに美学を見出す若者、本文中の言葉を借りれば「戦争ごっこをするのが楽しかった」と。この一文を読んだとき、学生運動がどのようなものだったか少し腑に落ちた気がした。そして逮捕と退学により安彦の闘争は終焉を迎える。浅はかな思想だ、何にも実を結ぶことない運動だったと、後世に生まれた自分たちが彼らを笑うことはできない。生まれた時代が違えば、自分だって何らかの形でそのような運動に与していた可能性は多いにある。
また全編を通して手塚治虫や宮崎駿といった同年代のクリエーターが登場するため、日本のサブカル史を辿る面白さがある。作家、漫画家、アニメーターにはどうやら序列があったらしい。
今の若い人にはないと思うけど、表現者としては非常に古いこだわりがあって、アニメよりもマンガの方が上、マンガよりも小説の方が上、という意識があるんですよ。だから目の前に小説家がいれば悔しいと思うし、アニメ時代はマンガ家に対して『悔しいな俺だって描けるのに』と思っていた。
ノンフィクション
高橋 大輔(2016)『漂流の島』
初めて購入したのは2016年だったが、2021年の実際に鳥島を訪れた際に再度読み直した。鳥島は東京から南に約600kmに位置する無人島であり、アホウドリの生息地であることや、ジョン万次郎が漂流したことでも知られている。この本は探検家である作者が、鳥島に現存する洞窟と漂流民の痕跡に迫ったドキュメンタリーである。文献やインタビュー調査と、島への上陸から退出までの生々しい冒険譚が交互に描かれ、筆者の発見した洞窟が、徐々に漂流民の痕跡だと裏付けられていくプロセスを追体験できる。
エピローグは「日本の国土の再発見」という観点からこれからの旅行への示唆を与えてくれる。コロナ禍が収まり、再び海外旅行に行ける日が来るにはまだ時間がかかりそうではあるものの、見方を変えれば日本を旅するよい機会でもある。鳥島と漂流民の調査の一旦の終着を迎えた筆者はこのように書いている。
わたしの探検のフィールドがいつも外国になるのは日本に秘境がないという思い込みがあったからだ。確かに本土や離島(有人)に秘境と言える所はないに違いない。そして鳥島に関心を持つまで、わたしは日本の無人島にも同じ烙印を押し、探検の対象として意識してみることすらなかった。
六千八百を超える日本の島にはそれぞれ日本人が歩んできた足あとが残され、無人島にすらわれわれの知らないドラマが埋もれていることだろう。そこはわれわれにとっての秘境、いまだ知ることのない異境に等しい。日本人が再発見しなければいけない、新たな国土と言ってもいい。
身近なこと知っている気分になり、それ以上深堀しようとはしない。知らないと分かっていて知ろうとすること、知っていると思い込んでいて実は知らないもの。本当に知るのが難しいのは後者かもしれない。日本を知り尽くした、なんて日本人は後にも先にもいないだろう。次は離島を中心に旅をするのがよいかもしれない。日本人の知らない日本を理解することができるのではないかと考えている。
立花 隆(2009)『小林・益川理論の証明 陰の主役Bファクトリーの腕力』
2021年4月、筆者の訃報が流れたタイミングで勧められた本。2008年ノーベル物理学賞を受賞した小林・益川両教授の提唱したクォーク(素粒子の集まり)の理論の証明のプロセスを追ったドキュメンタリー。舞台はつくば市にある高エネルギー加速器研究機構(KEK)。Bファクトリーとは、B中間子を生成する研究機関の意味。一般向けに書かれているとはいえ、内容は高エネルギー物理学なので、理論や加速器の設計について面白いと思えるほど理解はできなかった。ただし加速器は制御ポイントが数十万(原子力発電所は1万ぐらい)、電子銃が電子に与える電圧は200kV(送電線を通る特別高圧よりも少し低い)などと聞くと、精密さとパワーの点で凄まじい機械だということが素人ながら分かった。証明(実証)の方法としては、割りとオーソドックスな統計学が使われることも分かった。
かなりの予備知識がないと扱えないテーマであり、これがWebニュース等のメディアとジャーナリストとの仕事の違いなのだろうなと感じた。
思想・哲学
セネカ(2000)『生の短さについて』
元は2,000年前の文章であるが、とてもみずみずしい。我々が忙殺される何かを常に求めるのは、暇や退屈と向き合う怖さ故かもしれない。寝る前や山でのキャンプのお供に持って行った。『暇と退屈の倫理学』『モモ』と合わせて何度も読み返したい1冊。
渡部昇一(2013)『知的生活の方法』
初版が1976年であるため、既に45年の月日が経っているものの、古臭さはない。大学生時に初めて読んだ時は研究者の卵に向けて書かれたハウツー本という印象を受けた。しかし今回改めて読んでみると、読書の作法を究めた著者による読書の方法論ではないかと思えた。読書に対しては「自己に忠実」であったが故、老齢が怖くないと言えるほど、読書の楽しみを見つけることができた。何かの手段ではなく、それ自体を楽しめる趣味があると、老後に得られる膨大な時間が楽しみになる。そして繰り返し読むことの大切さである。
あなたは繰り返して読む本を何冊ぐらいもっているだろうか。それはどんな本だろうか。それがわかれば、あなたがどんな人かよくわかる。しかしあなたの古典がないならば、あなたはいくら本を広く、多く読んでも私は読書家とは考えたくない。
一度読んだ本は二度読まないという友人の姿勢に疑問を抱いた筆者の回答である。他にも朝と夜の生産性の違い、食事、本の所有、書斎を作ること等、知的生産性を高めるためのTipsが紹介されている。この本に影響を受け、2021年の秋に引っ越し先の新居に高さ200cmの本棚を購入し「本を手元に置く」ことを始めた。
次の2冊はどちらもプロテスタンティズムに関連する本。マックスヴェーバーを読み返したくなった。
エーリッヒ・フロム(1952)『自由からの逃走』
2021年は自分自身が転職、引っ越しをしたこともあり、職業や住む場所の「自由」を強く意識した年であった。自由を切望する一方、一度手にしてしまえばその自由をどう使えばよいか分からず、孤独に苛まれる。つまり逆説的だが、我々が常日頃は欲しがっているのは自由ではなく、新たな制約なのではないか、と考えさせられた。
この自由と孤独のトレードオフは中世社会においても生じており、プロテスタンティズムには不安を取り除くための機能があった。中世社会には階級や地理を跨いだ移動の機会がなく個人の自由はなかった。ギルドの経済活動は決まった場所・価格で取引を行う排他的なものだった。一方ギルドに属する連帯感や安心感があった。ところが近代社会に移行するにつれ、資本主義の発展により競争が生まれ、個人が解放された。職業や住む場所が自由になる一方、人々は自らの拠り所のなさに対する孤独や不安を覚えるようになった。人々は自由を謳歌できるほど創造的ではなかったことに気付いたのである。
この不安を慰めるため、カルヴァン、ルターは「人間の無力さを認め、絶え間ない努力によって罪を償い、人知を超えた神に絶対的に服従することで不安を克服できる」という新たな宗教解釈が提示された。この解釈がプロテスタンティズムとして経済的な発展を押し進める要因となった。
では現代人の不安はどのように取り除けばよいのか。多様性、自分らしさが重視される社会になりつつあるが、やはり自由であり創造的であることにも不安は付きまとう。では問いの立て方を変えてみる。不安をどう取り除くかではなく、いかなる制約下に自らを置くか。どれだけ自由を追求しても孤独や無力感から自由になれないのであれば、むしろ個人的自由を犠牲にするに足るような組織への帰属や束縛を探したほうがよいのではないか。中世社会と現代との違いは生まれ持った階級や土地を離れることができる。制約は所与ではない。自ら決断し、望ましい制約下に自らを置くことができる。この選択の裁量性こそが現代に生きる我々の持する「自由」ではないだろうか。
マイケル・サンデル(2021)『実力も運のうち 能力主義は正義か?』
マイケル・サンデル教授の新作。原題はTyranny of Merit=メリット(業績、功績、能力)による専制政治。能力主義(メリトクラシー)とは生まれや身分ではなく、個人の業績によって社会的身分が配分される(成功できるかが決まる)という考え方。一見このような社会は平等に思えるものの、勝者(エリート)と敗者という新たな階級構造を作り出し、分断をもたらす。本書の第2章に能力主義の歴史がまとめられており、プロテスタントの労働倫理(プロテスタンティズム)が能力主義の精神を育む土台となった、という指摘が非常に面白かった。
能力主義の成立は聖書神学と密接に関わっている。豊作を功績に結びつける考え方が、個人の能力によって富や貧困が決まる言説の起源となっている。
成功(功績) | 苦難(悪事) | |
---|---|---|
聖書神学 | 好天、豊作(善行へのほうび) | 干ばつや疫病(罪への罰) |
現代 | 富(才能や努力) | 貧困(怠惰) |
個人の能力、自由意思の考え方は、後に救済をめぐるキリスト教の議論に登場した。5世紀のアウグスティヌス、16世紀のルター・カルヴァンは、人間の自由意思を否定し、救済は人間の能力や功績によって決まるという能力主義に反対した。彼らの主張は救済は神の恩寵によるものだと主張する点で共通する。しかしこの考え方には儀式や典礼といった教会の慣行が信仰を表面的なものにしてしまう危惧があった。
時期 | 人物 | 考え方 |
---|---|---|
5C 初期のキリスト教神学 | アウグスティヌス | 個人の自由意思は神の全能性を否定する |
16C 宗教改革 | ルター | 救済を金で買うのは腐敗した慣行(免罪符の批判) |
16C 宗教改革 | カルヴァン | 救済は神に予定されている(予定説) |
ルターとカルヴァンの主張はアウグスティヌスのように神の全能性を重んじるというよりも、人知を超えた絶対的な存在、服従の対象として神を重んじた。というのも、当時中世のギルド社会から資本主義社会に移行する中で、個人的な自由に伴い孤独や不安が生まれてしまった。「自由からの逃走」にもあったように、安定した地位が失われ、個人の能力が市場で評価される社会への不安を和らげるため、人間や経済を超えた存在としての神という解釈が必要だったのだと思われる。
ここでマックス・ヴェーバー『プロテスタトの倫理と資本主義の精神』の「個人の自由意思を否定した宗教改革が逆説的に能力主義を育んでしまった」という主張が引き合いに出される。カルヴァンの唱えた予定説では、あらかじめ救済されるかどうかは神が決めており、個人は自分が選ばれる側かどうか分からない不安を抱えることになった。そこで神の恩寵を受けている確信を得るため「天職を全うし、熱心に働く」という労働倫理が生まれた。これにより、当初の意図に反して、人間の努力と救済(神の摂理)が結び付けられ、能力主義が加速することになった。
ユヴァル・ノア・ハラリ(2016)『サピエンス全史』
フィクションを信じる力、農業革命などハッとさせられる箇所がいくつもあり、一気に読めてしまった。「砂の女」に書かれていたように、狩猟採集社会から農耕社会(定住社会)への移行により、競争が生まれた。ここで時間に関する概念も変わってしまった気がする。定住が貯蓄を可能にし、貯蓄によって時間が過去と未来に伸縮し、現在の価値が薄れてしまった。計画的に、長期的に物事を考えるようになったのも農業革命が発端な気がする。
データサイエンス
中谷 秀洋(2019)『わけがわかる機械学習── 現実の問題を解くために、しくみを理解する』
シグマインベストスクールの統計学の講座で紹介されていた1冊。統計学、機械学習、Pythonの本は2021年だけで20数冊買ったものの、これは読み物として通して読むことができた。プログラムを実装するだけではなく、定性的な説明を行う際に大変参考になった。
映画
クレモンティーヌ・ドルディル(2016)『パリが愛した写真家 ロベール・ドアノー〈永遠の3秒〉』
フランスの写真家ロベール・ドアノーの生涯に迫ったドキュメンタリー。展示会と合わせて映画を観た。映画の終盤、ドアノーが写真を撮ることについて語る。
写真は撮った瞬間にすべて過去になってしまう。人物を撮るのは、去り行く友人を見送るようなもので、手を振り、次の角を曲がって姿が見えなくなった瞬間、これが彼の最後の姿だったと
別のシーンでは若かりし日の振り返るドアノー。ドイツ占領から解放されたばかりのパリで、誇らしげな兵士の写真。しかし当時のドアノーはこの写真を撮りたかった訳ではなく頼まれたから仕方なく撮ったと回顧する。しかしキャリアを重ねた晩年の彼は嬉しそうに過去を懐かしむ。銃を片手に笑顔を浮かべる兵士たちの顔は、パリの復興に向けた希望に満ちている、と。
写真とは保存という機能をもって、我々に記憶との向き合い方を問うている気がする。多くの現代人にとって一番身近なカメラはスマホのアプリだろう。たくさん保存して、中には見返すものある。しかしつまるところ記録そのものに意味や目的はなく、撮ったから大丈夫という安心感を得たいだけなのかもしれない。ドアノーの言うように、写真とは撮る瞬間にお別れを告げる過去であり、いつでも好きなときに取り出せる未来に対する挨拶なのかもしれない。また会えるからよろしく。
映画を観た後、赤瀬川原平氏の『個人美術館の愉しみ』という本の中で、京都の美術館・何必館館長の梶川氏のインタビューが登場する。何必館館長の梶川氏はドアノーのポートフォリオの所有者として映画の終盤に登場した。
この本には、何必館にフランス・シラク大統領が訪れたときの逸話が紹介されている。
シラク大統領(当時)が来館したときこれを見て「あのドアノーか」と口にしながら一枚ずつ見入っていたそうだ。それというのも、シラクとドアノーはかつて対独レジスタンス戦線での同志で、とりわけドアノーはそのレジスタンスでの花形、大スターだったという。
映画の中ではナチスやレジスタンス活動については全く触れられていなかった。あえて政治的な話題には触れていないのかもしれない。映画の終盤、ドアノーは写真家の原動力は不服従と好奇心だと語った。映画を観た後、ドアノーとレジスタンスについて気になっていたこともあり、京都の何必館を訪れた。しかし結局質問する気にならなかった。描かれる歴史があれば描かれない歴史もある。
大島渚(1983)『戦場のメリークリスマス』
家の近くの劇場で上映が決まり、観に行った。以前からテーマ曲や出演俳優が有名だったため、ストーリーというよりも、パーツパーツに目が行ってしまった印象。派手さはないが、異なる文化に住むもの同士が歩み寄った、歩み寄る努力をしたという風に取れた。
ランドール・ミラー(2011)『ボトルドリーム カリフォルニアワインの奇跡』
オークラのワインアカデミーの先生に勧めてもらったもの。舞台はカリフォルニア北部のワイン産地、ナパ・バレー。この地のシャトーが1976年のワイン品評会パリ・テイスティングで優勝するまでのお話。当時ワインと言えばフランスであり、アメリカワインが有名になったきっかけがこのパリ・テイスティング。フランスワインとアメリカワインを半分ずつ、赤白それぞれ10本のワインを審査員がブラインドテイスティングし、持ち点20点で評価する。下馬評を覆し、白ワイン部門で優勝したのが主人公一家の経営するシャトー・モンテリーナ。アメリカワイン最大の事件であり、これ以降フランス・イタリア以外の生産国=ニューワールドのワインが世界で注目されるようになる。
映画の中で印象的だった描写は、当時のアメリカのワイン農家の地位の低さ、そして当時のフランス人がアメリカに抱いていた異文化のイメージ。シャトー・モンテリーナには全くエレガントな雰囲気はなく、メキシコ移民の従業員は差別的な発言を受け、大学を中退しヒッピーじみたいの主人公は「ウッドストックはもう終わった」とぼやく。ワイナリーを経営する主人公の父も寡黙でけんかっ早く、文字通り言葉ではなく拳を交わして対話する。
フランス人からみたアメリカはどうか。パリ・テイスティング主催者のスパリュアはパリ在住。彼は初めてケンタッキーのフライドチキンとアボカドのワカモレ&チップスを口にする。大変訝し気な目をしながらも「案外食べれるな」と納得する表情。アラン・リックマンの演技が良い。パリ在住のスパリュアにとっていかにアメリカが遠い異国だったかが分かる。多少の脚色はあると思うが映画としてまとまりがあった。
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