情報と経験を行き来する
今月インドのラダックを訪れた。自分にとってチベット文化の国。ヒマラヤ山脈とインダス川の上流に囲まれたトレッキングと、ルンバク村でのホームステイ。トレッキング前後でお世話になったNyamshan houseの池田さんに教えてもらって読み始めた。グローバル化の波にさらされて失われつつあるラダックの伝統的な暮らしと、それに抗うローカリゼーションという対応策。たかが4日ではあるが、現地を歩き、ガイドの方と話、そして標高や日射による身体的な厳しさを味わった後なので、ラダックがどんなものだったかが脳や身体に残っている。経験ありきで理解できる本だと思った。
学生時代に開発や途上国についての本を読んできたつもりではいたが、自分に残っていない。それは経験が足りてない。大学を出てから10年経ち、コミュニケーション能力がついて、自分の経験を言語化できるようになった。少し英語力がついたこともある。
自分は身勝手な旅行者なのだろうか
この本によると、インド政府が観光を目的にラダックを外国人に開放し始めたのが1974年。インド軍が実行支配していたが、領土を明確にする意図があった。同時に集中的な開発が進んだ。数年前にようやくインダス川の4MWの水力ダムが完成し、24時間電気が使えるようになったと聞いた。もちろんまだ送電網が来ていないリモートの村も多くあるらしい。発電だけではなく、外貨獲得が確実な観光も開発計画の中心。旅行者用の建物が増え、物質的な文化に影響をもたらす。
自分は一時的な訪問者として景色や文化を楽しみつつ、彼らの文化を壊すことに加担しているのかもしれない。例えばチップ。タンザニアのキリマンジャロに登ったときもそうだったが、現地の人の標準的な日給よりも多く挙げてしまう。比べるものが日本の日給・人件費しかないから。これも金銭の機能を過度に信用する考え方を伝播させてしまっている。でもお金は感謝のやりとりだという解釈もできる。
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本書で紹介されていたもの
第三世界出身の著者が西洋の生活様式のイメージと実態の乖離を書いたもの
- 『白人天国-アフリカ人の地獄か』
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