Goodな生活

INTPの好奇心の受け皿

藤永茂(2021)『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』

映画の予習用に読了。これを読まなければ全然話がわからなかったと思う。自分の才能の使い道や親密な人間関係へのコミットの仕方に揺れ動くオッペンハイマーと、一本筋の通ったキャシー。浮遊する主人公とそれを定点から観察する妻、という構図があるのかなと感じた。そして生み出したものに責任を取れと詰められる。妻にも。世論にも。

著者が冒頭に書いている通り、オッペンハイマーに責任を転嫁しようとするずるい人類がいる。ファシズムとの戦いという目的を与えられ、それに邁進しただけとも言える。技術者が一同に会し、休みもないまま開発に取り組む様子には爽やかささえ感じる。見えないファシズムという敵に向かって団結したことの結晶が原子爆弾だった。後の時代に生まれた自分たちが、原子爆弾投下後の惨状を取り上げて、彼らだけを批判することもおかしい。歴史の産物。

映画を観終わってしばらくしてから、98歳の著者がブログを書いておられることを知った。

もともと鍛錬には、精神を、やや重要でない目的に服従させる面があり、鍛錬がわざとらしいものにならないためには、その目指す所が現実的なものでなければならない。

1939年、ボーア=ホイーラーの論文の出版後、急速に減少し、やがて全く姿を消した。軍事的な秘密の幕が下されたのである。

シラードのアインシュタインの第一回訪問(1939年7月)の目的は、当時のベルギー領コンゴのウラン資源がヒトラーの手に落ちるのを防ぐことにあった

サンフランシスコ市の北部にあるユニークな科学博物館「エクスプロラトリアム」はフランク・オッペンハイマーの創造

オッペンハイマー案の中心的な考え方は、まず原料核物質の採鉱、精錬を監視する国際機関である原子開発機関(Atomic Development Agency)を設けて、核分裂物質の危険な使用つまり核兵器の製造をその根源で監視し、次に加工変容した安全な核物質の使用(研究、医療、小規模原子力発電など)は国際管理から外して各国の自由に任せる、というものであった

アメリカの提案は国際協力による原子力の管理によって世界平和を樹立するという理念から全面的に後退し、原爆を振りかざしてアメリカが世界に強要する平和(Pax Atomica, Pax Americana)の提案以外の何物でもなくなった

副大統領としてほとんど事態を知らされていなかったトルーマンは、1945年4月12日にローズヴェルト大統領が突然死去した時初めて原爆のことを詳しく知らされ、その3ヶ月後には、大統領として日本に対する原爆投下の決定を下さねばならなかった