古書店で文庫本を買った。
初刊は1960年。64年前。本の中では100年前の暮らしについて語る人々の話が出てくる。時代と人が急速に変わっている、と感じる。
- 美味しくはないのだろうが、ヒエや菜飯は食べたことがない。どこかで食べる機会はないか。普通は2年分の米を蓄え、新米ができると去年のものを食べ始めることで飢饉に備えていた。
- 対馬から朝鮮に人参を買いに行くのに、朝鮮人のふりをして対馬の役人の目をくぐっていた。筆者と同時期に会津で育った蓮沼門三の自伝にも当時の暮らしについて書かれている。
- 日清戦争後に日本が台湾を領土にしたため、仕事を得るのにキールン経由で台北に大工が渡った。その後釜山や仁川にも仕事があった。
- 文字を使って伝承する人は外部からの刺激に人間であった。文字によって比較の概念を得る。
- 明治末(1910年頃)には油売りが現実にいた。髪に付ける椿油、神社の灯用の種油を桶にいれ、天秤棒を担いで売った。買い手の持つ小瓶に漏斗を差し、灼から油が一滴でも多く落ちるのを待つのどかな風景と、油を売る=なまけるという意味が一体になっている。
現代は人類史上初めて無名の人々の生き方や考え方がSNSやブログの形で集約されているのかもしれない。記録で溢れかえっている。アウトプットの仕方も様々。