本は外部ストレージのようなものではないか。自分の解釈や理解の幅を広げてくれる。何も自分の頭脳や身体で感受できるものは全てではない。他者の記憶を覗き見ることで、より目の前の事実に奥行きがあったことに気づくことがある。それを満たす手段という意味では、別に文章ではなくても映像でも良い。ただ映像だと情報量が多く、自分の感受したものとの差異が明確すぎるため、かえって追体験ができないと感じることがある。なので行ったことのない場所の映像を見るよりも、その場所に行った人の文章を読む方が好きなのだと思う。解釈に幅のある、良い意味で自由度のある文章が自分にとってちょうど良いメディアなのだろう。
小説・自伝
ジュール・ヴェルヌ (著), 村松 潔 (翻訳) (2012)『海底二万里』上・下
フランスの先輩を訪ねた際に「ここはジュール・ヴェルヌが泊まった部屋で・・」と話を聞いたり、椎名誠の本や映画「バック・トュ・ザ・フューチャー」にも出てくる、いわば古典なので一度読んでみることにした。大まかな内容は面白い、が、ところどころやたら生物種の名前を羅列したり、読むのが辛い箇所が何箇所かある。図鑑を読んでいるようでイメージが頭に湧かない。原書は1870年に出版、最初の日本語訳は1880年なので明治維新直後。まだフロンティアが残されていた当時の冒険家にとっては多大に影響を与えたのだとは思うが、現代の読み物としては正直冗長だと感じる部分もあった。一方で当時の科学技術の最先端を知るという意味では教養として読む価値は少なくない。
以下は、月の引力に関する気に入った表現
五日後には満月になる。そのときになっても、この親切な衛星が海の水を持ち上げてくれないとしたら
潜水艦のCO2分離回収についての表現
わたしたちの呼吸によって排出される炭酸ガスがこの船のいたるところに充満しているのだから、それを吸収するためには、容器を水酸化カリウムで満たして、それを絶えず振り動かしていなければならないが、船内には水酸化カリウムはなかったし、その代用になるものもなかったのだから
ここも水酸化カリウムとCO2で炭酸カリウムになる(KOH + CO₂ → K₂CO₃ + H₂O)、分離材料を液体とした化学吸収法の話が早くも説明されている。
ジュール・ヴェルヌはもう読まないかもしれない。
これを原作にした庵野作品は面白かった。
www2.nhk.or.jp
堀辰雄(1951)『風立ちぬ・美しい村』
2月、南極に向けたダイビングのトレーニングを北海道で終え、飛行機で帰る途中、急に美しい日本語を読みたいと思いkindleでダウンロードした。ちょうど昨年にジブリの映画を観たばかりだったので読みたいとも思っていた。
初版が1936年ということが信じられないぐらいに読みやすい。ここまでの日本語の文章が当時すでに存在していたことに驚く。明治維新から100年経たないうちに、漢語でゴツゴツした表現が、かなり人間らしくなってきたのか、どうやって日本語が進化したのかわからない。とにかく文章が美しい。八ヶ岳にはまだ2回しか行ったことがなく、全体的な地形やイメージもわかってはいないが、この本や『北八ヶ彷徨』での美しい文章によって、どんどん八ヶ岳が自分の中で美化されていく感じがする
画像や映像ではなく、文章から想起される風景で頭を満たしたいと思うことがたまにある。疲れているけれど、どこか興奮冷めないままの心を静めるため、丁寧で、かつ、空間的な広がりのある文章がどうしても必要な時がある。その時にすぐに取り出して読めるような本を何冊か用意しておきたい。
堀辰雄(1948)『菜穂子・楡の家』
同作者の「風立ちぬ」を読んだ後に続けて読んだ。
「楡の家」は「菜穂子」のエピローグ的な位置付けであり、感情で物事を判断する自分と理性で判断する菜穂子との違いが両者を隔ててしまうこと、外見と内面とのギャップに苦しむ母親の苦悩が描かれる。菜穂子は周りを取り巻く世界からの解放を渇望しており、孤独と同時にどこか清々しさも感じている。
何処から来ているか自分自身にも分からない不思議な絶望に自分の心を任せ切って気の済むまでじっとしていられるような場所を求めるための、昨日までの何んという渇望、それが今すべて叶えられようとしている
そして明は思いを素直に言葉にせず、責任や結論から距離を置こうとする。
「明の癖で、彼女の上へ目を注ぎながら、彼女を通してその向こうにあるものを見つめているような眼つきを肩の上に感じながら・・・
新宿と八ヶ岳というつながってはいるものの、断絶された二つの世界の対比が印象的だった。中央線のホームに佇む様子など映画のワンシーンになりそうな描写だった。
井上ひさし(1976)『偽原始人』
友人に勧められて文庫本を購入。小学生の主人公が母親に対して「自分のやりたいことがないから子供に干渉する」という指摘。親の行動を自己投影の結果と捉えていて、親はそれを愛情表現だとして正当化する。どちらも自分の立場では正しいと信じており、結局議論は平行線のまま進んでしまい両者の断絶は最後まで埋まらない。
親と子の価値観の対立、学校教育への反発のテーマは『ぼくらの七日間戦争』とも共通するものがあるが、特徴的なのは教育者の立場でありながら主人公たちの味方になり、受験戦争への異を唱える容子先生の存在。
物語の最後には主人公達が「自分自身を変える」という、いかにも長続きしなそうな決意を強くして、終わる。絶対続かない。強固であるが持続性はない。自分にもこういう時代があった。決意だけが心をいっぱいにする状態。そしてそれは長続きせず、やがて周りの目を気にして抗うことに疲れ、エネルギーがなくなり、丸くなっていく。この主人公たちも同じ道を辿るのか。何も結論が出ないからこそその後が気になってしまう終わり方だった。
フィリップ・K・ディック(1977)『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
解説を読んでよく分かったが、作者のアンドロイドという隠喩は機械的な行動パターンに侵された人間ー模造的な人間であり、作者が問題としていたのは人間と機械の双方における「人間性」と「アンドロイド性」の対立の構図だった。
人間を人間たらしめている一つの要素が「感情移入能力」であり、マーサー教の件が繰り返し描かれるように、他者と繋がる、救いを求めるという欲求を持っている。もう一つは生への執念。諦めの悪さ。
古典的な諦念。こうした機械的で知的な運命の受容は、本物の人間ー二十億光年の生存競争と進化をくぐり抜けてきた種族ーにはとうていまねできないものだ。
「おれにはきみたちアンドロイドのそのあきらめのよさががまんできない」
個の時代、そしてコスパ、タイパなど無駄を許容できなくなるような社会の風潮は人間のアンドロイド性を加速させる。SFはテクノロジーではなく人間を描くもの。AIの研究者が人間を理解しようとしているのと同じ。
小説は小説としてかなり読み応えがあるが、映画はまた別物。単なる原作の映画化というより、サイバーパンクの世界観をほぼゼロから作り上げているような印象を覚えた。
島崎藤村(1954)『破戒』
平田オリザの『名著入門』で紹介されていたことをきっかけに、いつか読みたいと思っていた一冊。先日読んだ堀辰雄の作品と同じく、舞台は長野。堀辰雄が都会と自然の対比を描いていたのに対し、『破戒』では地方社会の空気感と人間関係が濃密に描かれている。当時の文豪にとって、長野という土地が創作の源泉になっていたのかもしれない。もっと周辺の地理に詳しければ、情景がさらに鮮明に浮かんだはず。
初版は1906年と100年以上前の作品であるにも関わらず、文体が読みやすく、人物たちが生き生きと動いている。
部落差別という社会問題を扱いながら、親から託された掟とそれを逸脱しようとする主人公の葛藤が生々しく描かれている。自らの出自を隠し、苦しみ、誰にも語ることができない心の揺れ動き、内面の機微が、ここまで丁寧に描かれていることに驚かされる。この小説が世に出たことで、人々は「心」を語るための言葉を手に入れたのではないか。言葉にできなかった心を言葉にして出力する術を与えてくれる、この意味で、いかにして文学は人を自由にしてきたのかと、そんなことを思わされた。『日本文学盛衰史』で言われていることが少しわかった気になる。
ふと自分の毎日を振り返ると、SNS、Webページ、生成AIによって生み出された膨大な情報に囲まれ、一日の大半の時間を費やしている。果たして自分を自由にしてくれるような表現手段と出会えているのだろうか。自分の内面を言語化するという意味で、これらのテクノロジーは私たちを自由にしてくれるのか。便利になっているようで、様式の固定された不自由を私たちは甘んじて享受しているだけではないか。
司馬遼太郎(1998)『竜馬がゆく』(一)〜(八)
家の近くの古本屋で8巻セットを見つけ何かの縁だと思い購入した。当時の日本人はまだ日本人ではなく、藩や地域による人の顔つきや言葉、性格の違いにもっともっと敏感だったのだろう。
第1巻
ペリー艦隊が浦賀にきた真相は、ずっとのちになって竜馬はイギリス人グラバーからきいたものだが、元はといえば鯨が目当てだったらしい。その頃までの英米の捕鯨船は大西洋を漁場にしていたが、濫獲しすぎたためしだいに漁獲高がへってきた。
口から出る言葉の一つ一つが人の意表をつくのだが、そのくせ、どの言葉も詭弁のように見えて浮華(ふか)では決してない。人をわなにかける言葉ではないのである。
海外でいま栄えている国というのは、じつに国の体制がうまくできている。日本のように三百諸侯が割拠して、徳川氏に臣礼をとり、武備や政治にはげむよりも徳川氏の機嫌を損ぜぬようにするだけで日を送っている国家はない
男子たる者は自分の人生を一編の詩にすることが大事だ。楠木正成は一行の詩も作らなかったが、かれの人生はそのまま比類のない大詩編ではないか
位は桃井(京橋アサリ橋、武市半平太)、技は千葉(坂本龍馬)、力は斎藤(麹町、桂小五郎)、それぞれの剣檀を三分する勢力の塾頭をのちの維新の立役者が占めたのは奇妙な偶然といっていい。
第2巻
ペリーの「日本遠征記」には、われわれを非常に感激させた。吉田松蔭とその弟子金子重輔の教育のある日本人ふたりが生命をかえりみず、国の法律を破ってまでも、その知識をつよく広くしようとするはげしい心を示したからである。
倒幕維新の運動をやった薩長土三藩は、いずれも三百年前の関ヶ原の敗戦国である。幕府には恨みがあった。が、土佐藩のばあい敗戦者は旧長宗我部家の遺臣の子孫である軽格連中であり、藩公以下上士は、戦勝者であった。自然、佐幕主義たらざるを得ない。
酒は土佐の佐川郷で吟醸される司牡丹である。土佐人好みの辛口で、一升半のんでからほのかな甘みを生じ、いよいよ杯が進むという酒豪用の酒である。
とはいえ当時の船頭の操船術というのは幼稚なものである。西洋式とはちがい、コンパスや海図はもっていないから、もっぱら沿岸の近くを縫ってゆく。
毛利氏の領土は五分の一に縮小した。領土は削られたが、毛利家では家臣の数を整理しなかった。37万石をもって厖大な家臣団を養うために江戸初期にすでに「産業国家」に切り替えている。
この時代、京の天皇、公卿などはまったく子供のようなもので、外国との貿易はすなわち侵略を受けることだと信じ込み、いちずに戦慄し、彼我の武力比較などはわからず、幕府が彼らを撃攘しないことをふんがいしてーなんのための征夷大将軍か、と、激しい不信を抱いている。(この天皇、公卿の無知な恐怖心が幕末史を必要以上の混乱に落とし入れていくゆくのである。またこの無知と恐怖心に付け入って、薩摩、長州、土佐、会津が幕末政局の四大重鎮にのし上がった、と見られなくはない。なぜなら、朝廷はこの四大藩こそ幕府に変わって外夷を駆逐してくれると思っていたからである)
第3巻
大名行列などは、江戸文化が作り上げた珍妙きわまるものだが、それを滑稽とみたのは当時来航した外国人行列以外になかった。
→これは自分も同じ。いかに参勤交代が独裁政権を維持に貢献したかを想像すると素直に素晴らしいと思えなくなる
大名の富力を殺ぐために参勤交代をさせる。原則として、一年は江戸、一年は国もと、というぐあいに住み分けさせる制度である。諸大名は、多勢の家来をつれて、江戸、国もとの間を往来するために莫大な経費がかかった。彼らは次第に疲弊し、幕府に反抗できるような財力も武力ももてなくなった。だから徳川幕府は二百数十年も続きえたのである。
攘夷とは開港を迫ってくる外国を攘ちはらうということで、物騒きわまりないのだが、外交の衝にあるのは、日本の唯一の政府である徳川幕府で、外国から押し切られるままに、一港、一港、開港していた。これに対する在野の志士群の反感が、反幕運動になってゆくのである。
薩長が宗教的攘夷思想(異民族が足を踏み入れると穢れる)の非をさとってひそかに外国と手を握り、軍隊を様式化して幕府を倒した。簡単に言えばそれが明治維新である。
杉亨二はのちに勝が世に出たとき、勝の推薦で幕府の開成所教授となり、とくに統計学を研究し、幕末に人口調査をやるよう建議したりした。明治政府にも国勢調査をやるように建議し、山梨県で実施している。
大東亜戦争は世界史最大の怪事件であろう。常識で考えても敗北とわかっているこの戦さを、なぜ陸軍軍閥は起こしたのか。それは未開、盲信、土臭の強いこの宗教的攘夷思想が、維新の指導的志士にはねのけられたため、昭和になって無智な軍人の頭脳の中で息をふきかえし、それが驚くべきことに、「革命思想」の皮をかぶって軍部を動かし、ついに数百万の国民を死に追いやった。
第4巻
長州藩は幕末における現状打破のダイナマイトであった。昭和初期の陸軍軍人は、この暴走型の幕末志士を気取り、テロを起こし、内政、外交を壟断し、ついには大東亜戦争を引き起こした。武士の家では、男の子が元服する前に、入念に切腹の作法を教える。筆者は日本人に死を軽んずる伝統があったというのではなく、人間の最も克服困難とされる死への恐怖をそれを押さえつけて自在にすることで精神の緊張と美と真の自由を生み出そうとしたものだと思う。
伊東 祐亨は明治27、8年戦役で連合艦隊隊長官になり、定遠、鎮遠を主力艦とする清国の北洋艦隊を、黄海、威海衛にやぶったことは、以前に触れた。
竜馬はアメリカの「市民」と比較しながら(略)、日本人の人口のうち、9割が百姓、町人で、一割が侍なのである。一割だけが、自分に誇りを持つことができる「市民」であるといっていい。
第5巻
徳川幕府というのは、日本史上でもっとも(あるいは唯一の)諜報、密告誘導、相互監視といった暗い能力に長けた政府であった。この能力が、この政権の特徴、体臭にまでなっている。それ以前の豊臣政権、足利政権にはこういう傾向が皆無といってよく、このために後世への印象が、徳川政権よりはるかに明るい
関ヶ原の役では毛利家も島津家も、敗北した西軍に味方していた。戦後、家康はその罪によって毛利家を潰そうとした。実のところ、毛利氏は関ヶ原では一発の弾も打っていないのである。しかもその支族の吉川広家が東軍に内応しているから所領没収は過酷であった。ところが毛利氏はきのうまでの同僚であった徳川氏に八方陳謝し、かろうじて所領を四分の一に減らされ、城を広島から日本海岸の萩へ移されるという悪条件のもとで家名は残された。
水戸藩が最も早く勤王をとなえ、諸藩の志士は水戸をもって勤王の本山とあおいだものだが、その水戸人が議論と藩内闘争に明け暮れているうちに明治維新に参加できず、議論嫌いで統制主義の薩摩人が維新をおこした、というのは幕末史の皮肉といっていい
第6巻
「やはり権現様(家康)いらいの祖法を廃止したのが、いけなかった。参勤交代制度の廃止は幕威を失墜せしめ、諸大名を奢らせ、幕府を軽んじらせるもととなった」
「へたな祈祷師はやみくもに祈る。じょうずの祈祷師は、まず雨が降るか降らぬか、そこを調べ抜いたあげく、降りそうなな日に出てきて護摩を焚く」
大浦海岸には欧米の貿易商人の商館がずらりと並んでいる。「英国人でグラバーという者です」
当時、汽船の大きな修理は長崎でなければできない。長崎には幕府の官営造船所があり、上海から持ってきたドックなどもある。このドックは幕府がたてた造船所の後身である三菱長崎造船所が、機械設備もそのままにまも長崎市小菅に保存してある
なにごとも天だ、と大きなものから受けている恩恵を思うのである。天が西郷の命を温存させるために、かつその命を歴史の中で有効に使うために遠島の運命をあたえたのであろう。
塩浸は今も牧野町の公営になっており、落札で公営宿の経営者をきめ、その収入は町の財政をわずかながらも潤している。(略)竜馬が逗留したのは塩浸温泉のなかの鶴の湯壺である。
もちろん薪でも走れる。ただし火力が弱いために石炭の代用でしかない。
尊王という言葉がある。京の朝廷を尊ぶという概念で、これは当節、佐幕・非佐幕をとわず読書階級のごく普遍的な社会思想になっている。二十世紀後半の日本でいえば、民主主義、と言った程度のごく常識的でありきたりな概念である。が、勤王という言葉は違う。幕府を倒して京都朝廷を中心に新統一国家をつくろうという革命思想である。尊王の行動化した思想と、いっていい。
第7巻
ヨーロッパ列強がアジアを植民地化する場合にやってきた常套手段なのである。衰弱した政府に金と軍隊とを貸して反乱軍を討伐させ、そのかわりに利権を獲得してしまう。小栗はフランスへの見返りとして、横浜に日仏合弁の大製鉄工業をおこすこと、北海道全土を貸与すること、などを用意しているようであった。
維新後の下関は竜馬の予言通りであった(略)伊藤博文(俊輔)が李鴻章と日清戦争後の講和談判をした春帆楼が有名である。
「お家お取り潰しをおそれにおそれて幕府の機嫌をとることのみに汲々としてきた外様藩の茶坊主根性が、露骨に出ている」
戦国時代以来、鉄砲は足軽がもつもので士格の者は馬上で槍、ときまっている。「槍一筋の家」というのはそこからうまれた言葉だ。
ただ将来のみを語った。(略)半分おれに話柄を与え、半分自分に話柄をひきつけてしかもおれにひきずられない。
アーネスト・サトウは横浜で発行しているジャパン・タイムズに、日本の将軍について「最初、諸外国は将軍を元首であると思っていたし、幕府もそう称していた。しかし実際は諸侯の長にすぎない。であるのに日本の君主と唱えられていたのはせん偽である」という意味のことを書き、それを歴史、法律、現象面から論証している
もともと竜馬は諸藩の有志のあいだに「度量、海のごとし」という評判があり、人の好ききらいをいっさい表に出さなかった。そういう点があったればこそ、人もあつまってきたし、竜馬の下にいるとどの男も気楽に呼吸することができ、のびのびとそれぞれの才腕を発揮することができた。
幕末きっての詩文の人ともいうべき容堂は、早くから勤王思想にめざめていたが、その思想は、討幕とまでにはいたらない。土佐山内家の成立が、家康の恩恵におうところが多い
第8巻
佐佐木の話しぶりはすらすらと言葉は弾むのだが、独創性がない。一つの概念をしゃべるとき、その内容か表現に独創性がなければ男子は沈黙しているべきだと竜馬は思っている。
もともと家康以来、徳川幕府は、諸侯が京の天皇・公卿と交渉をもつことを怖れ、参覲交代の途次に京に立ち寄ることも禁止している。
土佐弁、長州弁をつかえばもうそれだけで幕吏に捕殺される時勢である。
竜馬にすれば、幕府衰亡という問題を冷厳な社会科学的な態度で語りあおうとしているのに、無礼よばわりが出ては話にもなにもなったものではない。
幕末の数年、庶民の関心事は尊王攘夷などというようなものではなかった。 物価である。 とくに米価であった。米価を中心に諸式がここ数年騰りにあがり、すさまじい勢いのインフレーションがつづいてきた。
最大の原因は連年つづいた不作、凶作である。この浮世での食いづらさが幕末の政情や人心に影響し、幕末騒乱の熱量をあげる原因のひとつになってきている。
大坂と兵庫間の陸路交通にもっとも不便なのはほとんどの川に橋がないことであった。江戸幕府は橋を架けることをほとんど病癖のようにきらいつづけてきた政権で、その理由は戦略的なものらしい。幕府領である大坂が西から攻められることを仮想した場合、橋があっては敵の進軍が速くなるというのである。
英国女王は日本の天皇を相手にすべきであるとした点で、もっとも大きく発揮された。この発見が、英国をして反幕府の薩長に接近せしめたといえる。
岩崎は、竹島がどの国にも属せぬ無人島であることを長崎の白楽という朝鮮人からきいた。そのうえ樹木が豊富にあるというので、伐採夫まで乗せて行った。おそるべき行動力といっていい。
たとえば日本における洋式銃の代表的なものは、ゲベール銃といわれるものである。ほどなく欧米で元込銃が開発され、それがおそるべき新式兵器として日本にも入ってきた。弾を銃尾で装填する。このため一発を射つ速度がゲベール銃の十倍の速さになり、この銃を装備すれば兵力は一躍十倍の力になりうる。しかもこの元込銃は、銃腔に施条がきざまれており、椎の実形の弾が旋回しつつ飛ぶため、射程も伸び、命中精度ですぐれ、それやこれやで「元込式施条銃」の出現は過去の銃を廃品にしてしまった。
すでに物事が見えはじめている彼にとっては、時勢の潮流から外れてゆく幕府の側に立っていることに多少の淋しさを感じていたにちがいない。
なにしろ幕府というのは幕府創設以来、合議制を建前としてきているため、いざとなるとたれに責任と決定権があるのかさっぱりつかめない組織だった。
竜馬にすれば薩長を待たせに待たせた罪をその死でつぐない、同時に討幕の先陣として死ぬつもりであった。
筆者はこの小説を構想するにあたって、事をなす人間の条件というものを考えたかった。それを坂本竜馬という、田舎うまれの、地位も学問もなく、ただ一片の志のみをもっていた若者にもとめた。
私心を去って自分をむなしくしておかなければ人は集まらない。人が集まることによって智恵と力が持ち寄られてくる。仕事をする人間というものの条件のひとつなのであろう。
自伝
村上隆(2018)『芸術起業論』
新幹線の中で一気に読了。 Youtubeの密着動画やNHKの取材番組でも本人の言葉を聞けはするが、やはり文章で読む方が深く理解できる。
そもそもこの人のことを、「ゆず」のジャケットを書いている人、六本木ヒルズにオブジェを置いた人くらいにしか思っていなかった。
でも実際には芸術の構造そのものを極めてロジカルに研究し、新しい何かを実践しようとする人だった。芸術家だけではなく、働き方へのマインドという点も刺さる内容。
自分の仕事にも批評のための観点が必要。何を持って良い成果物なのか、それを審議する目が養われないと、何となく通じるその場のノリや雰囲気は一瞬通用するかもしれないが、最終的には価値を生まない。同時に、それは何というか、いわゆる働く上でのマナーや前提条件のようなもので、いつまでその精度を上げるフェーズに自分がいるんだ、という葛藤も出てくる。そんなものはそこそこに終わらせて、自分の成し遂げたいことに集中して、早く結果を出す方が良いのではないか。
以下は印象的だった点。
第1章 芸術で起業するということ
- 「勤め人の美大教授」が「生活の心配のない学生」にものを教える構造からは、モラトリアム期間を過ごし続けるタイプの自由しか生まれてこないのも当然でしょう。
- 欧米で芸術作品を制作する上での不文律は「作品を通じて世界芸術史での文脈を作ること」です。
- 日本は好き嫌いで芸術作品を見る人が大半ですが、これは危険な態度。主観で判断するなら目の前にある作品の真価は無に等しくなる
- 「アートを知っている俺は知的だろう」「何十万ドルでこの作品を買った俺は面白いヤツだろう」西洋の美術の世界で芸術は社交界特有の自慢や競争の雰囲気と切り離せないもの
- アメリカではコレクターは寄付した作品の金額が税金控除の対象になっている。日本では固定資産として税金徴収の対象になるため芸術はひそかに所有されるが、アメリカでは税金控除の対象になり、作品売買が盛んになるもの当たり前
- ヒットというのはコミュニケーションの最大化に成功した結果
- 追い詰められた人間は能力を駆使して自前の正義を作り上げるがぼくが欧米の人に伝えるために組み上げた理論もそんなようなものです
- 日本の美術界には社会と美術の接点となる歯車がない。芸術家も美術館も学芸員も報道側も評論家もルーティンワークをこなすだけに終始しているように見えます。そんな意味のないことをしたくて芸術の世界に入ったはずなのに、いつしか芸術界のサラリーマンのようになってしまう
- 栄耀栄華を極めた経営者にはほとんどの問題はお金で解決できるものでしょう。人の感情もわかったような気になる、そんな時こそ人間は芸術が気になるようです。なぜならば人こそ、心の内実こそ、蜃気楼のように手に入れた瞬間に逃げていくものだということを知っているからでしょう
- アートというのは贅沢な娯楽です。作品制作では厳しすぎるほどの眼を持つべきです(略) 「その仕事で達成される質の高い作品への探究心が、あるかどうか」 「その仕事の生むコミュニケーションへの好奇心が、あるかどうか」
第2章 芸術には開国が必要である
- ジャポニズムも 結果的には写楽や北斎をハイアートの文脈でカテゴライズしてくれたのはフランス人やイギリス人であり、日本人が写楽や北斎のステイタスを作ったわけではありません。
- 鳩摩羅什は、サンスクリット語の仏教用語を漢訳し、「極楽」「色即是空」「空即是色」などの単語を生み出した。サンスクリットの原典にはない煩悩是道場(煩悩は人を成長させるような道場のようなもの)を書き加えた(中略)仏典のハードコアな部分よりも聞いた瞬間にわかる言葉を求めていたのでしょう
- ジャック・マイヨールというフリーダイバーが「潜水が世界に認められるための評価基準」を自分で作り上げたのは素晴らしい。血管に様々な液体を入れて潜り、肺に酸素がどう集まるかの実験というような潜水が一般に受け入れられるための指標を自分で作り上げたのです
- 欧米と日本の芸術の違いは「日本の現代美術の歴史のなさ」を反映している。第二次世界大戦を無条件降伏した日本は、アメリカの支配の下に敗戦国が取らされる責任領域内で民主化された。その民主化の過程で階級社会がなくなりました。
第3章 芸術の価値を生み出す訓練
- 作品を意味づけるために芸術の世界でやることは決まっていて「世界で唯一の自分を発見し、その核心を歴史と相対化させつつ、発表すること」。簡単に見えるかもしれませんが、正直な自分をさらけ出してその核心を作品化するには厳しい心の鍛錬が必要です
- すごいアーティストはぐうたらに見えても実際はものすごく勤勉なのだけれど
- アーティストはお客さんに育てられるところがあります。売れ始めるとアーティスト本人にも自信がついて不思議に絵が堂々としてくるんです。
- ミュージシャンの中にはプロデューサーを次々に変えてそれぞれの持ち味を引き上げて自分のものにしてゆくタイプもいますけど、そんな風にしたたかに作品を仕上げていってほしいとぼくは考えているのです
- 「練習やってきて」「描き直してきて」そう言われたらその何倍も鍛錬してくる人じゃなければ生き残れません。情熱の心が折れたらだめなのです。
- 欧米のトップの美術評論家は時代の基準をきちんと作ります。確実な批評の訓練を受けたインテリですから論説もきちんと定石を踏んできますし、だからこそ芸術という非論理的なものに興味を持ち「わけの分からないものを論理で語ること」に挑戦できるのです。(芸術)芸術の作品の基準を伝える人が権威として存在している社会は、芸術家への行動への意味づけが正確ですから、美術が美術として機能しているのです。
- 戦後の日本の美術の世界は「醤油くささ」の隠蔽と外国料理の模倣に明け暮れたようなものです。
- 文脈の歴史の引き出しを知らずに作られた芸術作品は、「個人のものすごく小さな体験をもとにした、おもしろくもなんともないちっちゃい経験則のドラマ」にしかなりえません
- 歴史の探索の方法を美術大学では教わらなかった。もちろん西洋美術史や日本美術史の授業はありましたが、「作品制作のためのデータベースとして歴史を扱う」という方法は教わりませんでした
- 目に見えない脅迫観念を最も有効に活用してきたのが日本の広告代理店であり、ある意味では日本の広告は戦後の日本の権威消失に寄与した本尊になっています
- 「国家」を取り上げたら腑抜けた世界観が蔓延したという実例が日本で、そういう世界の芸術はアニメや漫画という卑近なところに出現することになるのです。つまり日本の敗戦後の「基盤を抜き取られた世界観」は、今後世界中で共感を受ける文化として広がるのではないでしょうか。まさにこちらの芸術理論の構築も待たれるところです。
- 大学、専門学校、予備校を入れれば、毎年何十万人もの美術学生が新しく生まれている国、人口比で言えば世界一の美術国ではないか
- 日本はこうして権威への渇望感に比例して高級ブランドの権威を消費する国になってしまった
第4章 才能を限界まで引き出す方法
- 徹夜をすることは地獄でも何でもありません。(中略)芸術の矛盾を抱える苦しみを見ようとしないで「一生懸命」という幻想の中になぐさめを見出している場合ではないでしょう。
- 怒りがない人を無理に引き上げることはなかなかできないんです。
- 毛沢東「若いこと、貧乏であること、無名であることは、創造的な仕事をする三つの条件」
- 「作品のために何でもする」という正義があるかどうかで、結果が変わると思うのです。怒りや執念や「これだけはしたくない」という反発は重要なのではないでしょうか
- だめなときは「絵のテーマがわからなくなっている」「何枚仕上げなければいけないから、前に使ったあの発想を持ってこよう」
- 絵を続けるための動機は、絵を始めたときの動機よりも、ずっと大事なこと。
- いつも決まった相手と「まあ、今日はこんなことをしようか」というような作品ではつまらないでしょう
- 経済はズタボロで外交はめちゃくちゃで誰も政府のことを信じてない、イギリスもヤバくなるほど音楽がよくなった。ズタボロな国だから芸術の栄養素があるかもしれない。住環境の悪さが日本人のストレスに耐える強さを生んでいたりするわけですし。
- 日本人はある意味では刹那的な考え方をしています。もともと、江戸時代には大火事が頻繁にあったときにさえ、本来なら惨劇であるはずなのに、逆境を笑い飛ばして「経済の活況を呼び込むもの」と受け取っていたようなところもある
- 戦後の焦土から生まれ続けている日本の「かわいい」キャラクターはアメリカのディズニーの影響を受けていることは明らかですが、「何もかもなくなってしまったところから新しい命を誕生させたい」という願望から来ているのかもしれない。
- ロンドンのアステカ文明展を見たとき、千手観音みたいな像があった。手や顔がたくさんあるのは人の欲望の象徴であり、人間の限界を突破したいときに使う表現だと思いました
鈴木慎一(1966)『愛に生きる』
普段のバイオリンの練習で使っている鈴木メソッドの著者の本。どうやら「鈴木バイオリン」という呼称には一つは鈴木政吉によるバイオリン製造会社、もう一つは三男の慎一による練習曲集を指すらしい。なんとか練習のモチベーションを高めようと読み始めたがなかなかいいことを書いている。休んではいけないが、急いでもいけない。やるべきだと思いながら直ちにスタートしないという共通の短所。自分を欺くことが罪であるとする『トルストイの日記』(これを読んでみたいが何の本かわからなかった。「人生論」「人はなんで生きるか」とか?)第一次世界対戦後のドイツに留学し、アインシュタインの家に下宿していたエピソードは強烈。当時は恐ろしいインフレで日本円の価値が上がり、ほとんどお金を使わずに済んだ。
とりあえず出てきた曲は一通り聞いてみる
- バッハ「シャコンヌ」
- シューベルト「アヴェマリア」
- ハイドン「メヌエット」
- モーツァルト「クラリネット五重奏曲」(イ長調、k581)
- バッハ「協奏曲第一版イ短調」
- ヴィヴァルディ「Gモールのコンチェルト」
福沢諭吉(1978)『新訂 福翁自伝』
1835年から1901年という江戸末期から明治維新の時代において、幼少期の頃から神仏を盲信せず、武士が形式的に刀を刺して歩く様子を軽蔑している。文明開花の時代が来ることを確信し、漢学や過去の価値観に固執しない柔軟さが伺える。蘭学の原著の輪読通じて、医学、化学、工学を学んだと思われ、「これ以上できないほと勉強した」と書いてあるので情報が限られる中、適塾時代のインプット量は凄まじいものだったのだと思われる。
Competitionを競争と訳したとき、「争う」という字面が穏やかではないと幕府に難色を示された。西洋風の市場原理や自由競争の概念の持つ厳しい印象に直面して狼狽える当時の日本人の反応がよくわかる。
1868年の大政奉還、幕府側にも薩長側にも肩入れすることのなかった著者には、どこか諦観を感じる。慶應義塾の繁栄に強くこだわっている様子もなく、イデオロギーではなく文明開花で今後世の中がどうなるか、歴史の流れを俯瞰的に見据え続けてのではないか。変わりゆく時代の中で自らの視点を持ち続けていられる自由を感じる。
ちょうどこれを読んでいるときに大阪の道修町の適塾を訪れた。思ったより建物が大きい。塾生の寝泊まりした部屋には刀で柱を切りつけた跡が残っている。
猪熊隆之(2013)『山岳気象予報士で恩返し』
何がきっかけかは忘れてしまったが、山岳関係の仕事の本を探すうちに出会ったものではないか。今年の6月に著者の猪熊さんのツアーに参加した。雲を見ながらその「やる気」を判断するらしい。上昇に伴って大きくなり、雨を降らすような雲なのか、そこまでやる気のない雲なのか。自らの感覚で天気を感じとるための語彙を磨かなくてはならないと思った。
1853年に勃発したクリミア戦争はロシアとトルコの局地戦争であったが、イギリスとフランスが参戦。両国は連合艦隊を黒海に派遣したが、暴風雨に遭遇して壊滅した。このため当時天文学者であったユルバン・ジャン・ジョセフ・ルヴェリエがヨーロッパ各地の気象観測データを収集して天気図を作成し、暴風雨の予想が可能であったと英仏両政府に進言した。1854年に世界で最も早い気象機関の一つイギリス気象機関が誕生した。
ヨーロッパの天気予報は第二次世界大戦後、数値予報の登場とともにさらに進化する。気象観測網が発達し、域内観測データが充実していることや、西側にある北米大陸の観測データが豊富なことが後押しする(日本は西側の中国大陸やチベットの観測データが少ないため、北米やヨーロッパに比べて不利な状況で予報を行なっている)
山の天気を予想する上で大切なのは、山の地形を徹底的に頭に叩き込むことである。(中略)このイメージづくりの際に私が心掛けいているのは、雲や風の気持ちになることだ。
「肌寒い」、あるいは「じめっとした感じ」、「乾いた感じ」といった肌で感じとる感覚はとても大切である。さらに、雲の形や動き、風の流れ、強さ、そういうものを目で見たり、音を聞いたり、肌や体で感じる。そうした感覚全てが天気を予想する上でのヒントになる。このように、現場で、人間の五感を使いながら行う予報を観天望気と呼ぶ。
天気を理解するのが難しいのは、人間はどうしても平面的に気象を捉えてしまうからだと思う。天気図にしても、平地から雲を見上げるにしても平面的である。ところが、高い山に登れば、雲を横から断面的に見ることができる。
空気は上昇すると膨張する性質がある。膨張すると空気の温度が下がっていく。これを説明するのが熱力学の第一法則。(中略)空気は膨張する(自分の体積を増やしていく)ため、エネルギーをたくさん使う(これが仕事量)。そのため自分の温度(内部エネルギー)を下げることによって消費したエネルギーを補っていく。空気の中に水蒸気があれば上昇にともなってそれが雲になる
西岡常一ほか(2005)『木のいのち木の心〈天・地・人〉』
何がきっかけか忘れてしまったが5月の慶良間ダイビングで知り合った人に教えてもらった本。これを読んでいる時に法隆寺にも出かけると駅に西岡氏の道具などが展示してあった。頭でっかちな現代人に対する警鐘。
あとがきにもあるように、客観的な二次情報ではなく、個人史、感情、意味のごちゃ混ぜになった情報こそ人間味がある。変に勉強して語彙を身につけると小利口になる。
- 「日本書紀」には宮殿建築には檜を使えと記載がある。杉と楠は舟を造る、槙は死体を納める棺に使う。時代が下ると檜が手に入らずに欅(ケヤキ)を使い始め、江戸時代には栂(ツガ)を使い始め、長持ちしない建物になる。樹齢2000年、2500年の檜は台湾にしかない。
- 中国山西省の仏宮寺は木造建築、軒が短い。雨が少なく、石造りや煉瓦造りのため軒が短く済んだ。雨が多く、湿気の強い日本では、軒を長くして雨を防ぎ、建物を乗せる基壇を高くして地面からの湿気を防ぐことを考えた。かつ日本式の掘立て式はやめ、礎石式に改めている。
- 飛鳥や白鳳も美しいが、日本独自の様式が完成するのは鎌倉時代。線が直線で独特の美観がある。室町になると装飾に走り嫌味が出てくる。それまで使われなかった様々な道具が出てくる。江戸になると日光東照宮などは華美で派手になってくる。建物というより彫刻。
やまとけいこ(2024)『黒部源流山小屋暮らし』
今年の7月、雲の平小屋に向かう前に太郎平小屋に宿泊した時に売店で見つけた本。下山後にAmazonで購入した。
薬師沢小屋は山小屋ではあるが、渓流に面しており、すぐ近くに吊り橋があるため、写真だけ見るとどこかのキャンプ場のような印象を覚える。入り口近くで水を汲んだ。釣具を携えた方、5本指ソックスのような珍しい登山靴(クライミングシューズ)を履いた玄人、カップル、いろんな人が小屋の前の足場の上で休憩したことを覚えている。この足組も小屋番の方によって建てられたものだったのかもしれない。イワナは見つけられなかった。
一度山小屋で働いてみたいとは前々から思っていたが、「逃げ場のない閉鎖社会なので、下界以上のコミュニケーションが必要となってくる」と書かれているのを読み、自然を相手にするタフさももちろん必要であるが、結局求めらるのは人間とのストレスが一番の悩みなのだろうと察した。車や電車の音がしないところ、自分以外に何もない場所、広がりのある空間、そういうものを求めて山に来ているのに、人とのやりとりを気を揉む、そういったことに耐えられる自信がない。身勝手な意見ではあるが。
以下、読んでいて気になった箇所
マスター曰く、遺体の捜索は不思議なもので、親族や近しいものが探すと出てくることがあるという。
愛知大学の遭難事故にしても、最後の一人を探し出したのは学生の父親だった。遭難発生から286日目、10月14日の最終日だった。
秋の山小屋の野菜フェアの始まりは、今まで使っていた缶詰、乾き物をストップし、野菜たっぷりのメニューに変更する。
山小屋でやけに野菜をふんだんに使ったメニューだったらそれは食料余り。逆に缶詰、乾き物が多ければそれは食糧難。この食料調整が悩みどころ。
北アルプスは造山構造が複雑で、近隣所といえどまるで土地の持つ雰囲気が違う。雲の平はかつて自然ダム湖の底であり、その後20-10万年前に雲の平火山が溶岩を噴出、
ダム湖の底だった砂利層をコーティングした。溶岩でコーティングされなかった部分は、後に侵食によって削られ、今の台地状態になった。そう思って風景を眺めると、雲の平にゴロゴロ転がる黒い石も、溶岩台地に凛と揺れる高山の花々にも長い悠久の物語を思わずにはいられない。
科学・技術
宮崎康行(2011)『人工衛星をつくる ―設計から打ち上げまで―』
宇宙関連技術のプロジェクトに関わった経験から、手に取った本。プロジェクトの開始前ではなく、一区切りついた段階で読むと、「ああ、そういうことだったのか」と腑に落ちる部分が多い。第4章は専門性が高く読むのを断念。プロジェクトマネジメントの観点からも示唆に富む読み物。わからないことは次に専門家と話す機会があったときの質問リストにする。
印象に残った箇所のメモ。
第1章 超小型衛星ってどんなもの
- 300トンから450トンのロケットのうち、大半は燃料が詰まっており、人工衛星が載せられるのは先端の数トン程度
- 放送衛星(静止衛星)は赤道上空約36,000kmを横に周る軌道であり、多くの地球観測衛星は高度600-800km程度で極軌道であり縦に周る。高度が低いのはカメラの解像度が高いから。低すぎると空気抵抗が大きくなり減速し、遠心力が弱くなり大気圏に突入してしまう。
- JAXAが無料相乗り打ち上げの機会を国内の大学に提供しているが、審査があり、限られた数の衛星だけが打ち上げられる
第3章 環境をととのえよう
- 市販の民生品を宇宙で使用する場合、壊れた情報が流れるとイメージダウンになるため、メーカーからは宇宙で使って欲しくないと言われる。
→今でもそうなのか?むしろ宣伝機会になるのでは。
- 無線従事者の免許と無線局免許が必要。ともに総務省の管轄。電波法により、衛星から地上局へのダウンリンク、地上局から衛星へのアップリンクに使える周波数が決められており、一つの衛星に割り当てられるのは周波数の小数点第3位のMHz帯。これを守らないと他の人工衛星や地上局と混線する。
第4章 人工衛星の設計・開発の基本要素
- 宇宙デブリ対策のため、運用を終えた衛星は25年以内に軌道離脱(デオービット)させるという国際的な取り決めがあり、日本ではこれを満たさない衛星は打ち上げができない。超小型衛星の場合は大気圏に再突入させて燃え尽きさせるのがベストかつ唯一の方法。
生活・文化
中村睦美、今村謙人、又吉重太(編著)(2023)『日本のまちで屋台が踊る』
2月に海外出張の前日の夜。友人に橋の上の屋台に連れて行ってもらい、そこでこの本に出会えた。
屋台をやるという選択肢は全く思いついたこともなかったが、直感的にはいいなと思った。数々の旅先で買ったコーヒー豆、そしてボトルワインを売り歩けたら面白いかもしれない。自分が誰かに提供することで味や風味の違うをアウトプットする機会ができていいかもしれない。気の向いた時にだけ店をやれる。店舗のような決まった場所はいらない。
みんなと同じようなことで悩むし、恥ずかしがり屋だし、人前に出ると緊張する。だけど屋台があるとなぜか表現できるというか、自分を出せる。
継続が目的ではないし、どこかで屋台がなくなってしまうことも期待している。10年以上続けているけれど、やめる手段を誰かに委ねている。
商売はあるものをそれがないところに運んで差額で稼ぐことが基本です。すごくシンプルで難しいことはないけれど、日本のように仕事をすることのハードルが上がってしまった世界に暮らした私からするととても興味深い。
屋台にタイヤがあれば何かあったときにすぐ移動できて対応できる。社会やコミュニティに入ってしくじったらトンズラすればいい。モビリティは大事
ええもんは一回抽象(コード)化されるけど、やがて必ず、一切の抽象を拒むように個別(ノイズ)化される
小津安二郎『秋刀魚の味』(1962年) 学校教師を退職後に支那そばやを営む選択肢がまだあった時代だった。
東 千茅 (2020)『人類堆肥化計画』
ゴールデンウィークの飛行機の移動中に読了。橋の上の屋台を紹介してくれた友人が勧めてくれた本のうちの一冊。
文章が上手い。「上手い」とは何か。世の中への違和感や問題提起を、下品な煽りではなく、節度と論理をもって提示できること。そしてそれは、理屈の世界に閉じたものではなく、実際に里山に暮らし、土に触れてきた実践を伴っていることによる説得力があること。
自分はすっかり人工的で一見綺麗な世界に飼いならされている。たまに自然が恋しくなって山や海に行くけれど、それはレジャーの枠を出ず、生態系のサービスを享受して満足しているだけ。仕事では自然の経済価値を計測し、可視化するテクノロジーを褒めそやしていて、そこには「死」や「腐敗」、汚いものや臭いものの一切は出てこない。まだ生きた言葉を使えていない気がする
以下は印象に残った箇所
第1章
・生はいつも、生の解体がもたらす産物なのだ。生はまず死に依存している。死が生のための場所を残るからである。
・「清貧の思想は支配者の思想に過ぎない」
・堆肥と化学肥料は主要な成分は同じであるが、前者が小動物や微生物の分解力で作られるのに対し、化学肥料は化学的に合成して作られる。
第2章
・ジェームズ・C・スコット:
「首都の中心における厳格な視覚的な美観へのこだわりは、薄暗い居住地と多くの不法占拠者が暮らすスラムを生み出す」
第4章
・里山「保全」とは言いたくない。人類の行いの破壊的すぎることへの反省という意味合いは首肯できるものの、この語に付随する人類の優越というニュアンスは気に入らない。
・國分功一郎:何事も楽しむには訓練が必要(『暇と退屈の倫理学』)
・世界は開かれている。この世界において異種たちの存在を悦べる感性の土壌を肥やすことができれば、わたしたちの世界は蝶番に油が差されたように滑らかに、よく開くようになるだろう。
旅行記
椎名誠(2021)『アイスランド 絶景と幸福の国へ』
長旅の始まる前にたくさんの仕事に追われる筆者の気持ちがよくわかる。旅の予定があるからこそ、限られた時間で必死に仕事をこなせるのではないかと思う。出発前の空港のロビー、ラウンジ、電源とWIFIを探しながら優先順位をつけて仕事を片付け、なんとか資料を作る、なんとかメールを出す。我ながら集中力が研ぎ澄まされた瞬間だと感じる。だいたいパッキングは前日の夜に初め、当日の朝に早起きして仕上げる感じなので、最初から完璧な準備は求めない。いつも何かを忘れる前提で準備をしている。
極寒の旅を続けていて一番感心したのは眼球が凍結しないこと。目の表面には絶えず体温レベルの水分が流れていて、その僅かな移動流動体が凍結を防いでいるらしい。わざと水分接種をやめて眼球の上を流れる水分をとめたりして目が凍ったらどんなふうになるのか一度ぐらいは試してみたかったが。
アイスランドでゆっくり離れた北米プレートとユーラシアプレートが地球の反対側で再びぶつかる場所に日本がある。その一部が日本のフォッサマグナだ。アイスランドと日本は巨大な二枚のプレートで繋がっているのである。
どうしても日本の風景との対比になる。日本は汚い。せっかくの自然の形状や季節の色がいい調和を見せているのに、至るところにあるサービス業などの建物や看板が汚い。
ゴールデンウィークに1週間アイスランドに滞在し、正確な数字は忘れたが合計で1,000km弱移動したと思う。変化はするもののただただ呆然と人を寄せ付けないような荒涼とした景色。突如現れる滝。これと似た場所がパタゴニアらしい。生物でたくさんの場所も良いが、荒涼さに惹かれる。案外砂漠なんかも自分は好きなのかもしれない。
1984年のソ連、冷戦時代ということもあり、ロシアの都市でも田舎でも自国の目下のありように満足している人には出会えなかった。(中略)みんな政府に対して不信感に満ちていて、数人が集まると政府への不満を言い合うのだが、途中でハッと気づいたように天井に向かって「いまのは冗談ですから」といちいち叫んでいた。
紀行の執筆は簡単なようで難しい。実際に体験したことを並べても面白いものにはならない。(中略)では紀行が面白くなるかどうかの分かれ目はどこにあるかと言うと旅の体験から何を選び取ってどう書くかが大きい。(中略)豊富な読書体験や旅の経験と照らし合わせながら旅先では持ち前の鋭い感性と観察眼を持って自分が面白いと思える対象を敏感に感じ取る。そして興味のアンテナに引っかかった対象については旅の後にも資料を漁ってとことん掘り下げる。
映画
『風と共に去りぬ』ヴィクター・フレミング(1939)
タラのテーマの「タラ」とは土地の名前のことだったと初めてわかった。
スカーレットは、情熱的、外交的、商才、行動力を兼ね備えている一方、言いかけたことを途中でやめてしまうなど、本心を言葉にするのが苦手そうな場面がいくつかあった。
表面的には親分肌で強い女性、内面的には揺れ動く感情や不安を抱える矛盾。レットに求められて幸せそうだったのに、それを表現できないまますれ違ってしまう。
前半は物理的な消失と復興の物語。後半は金銭的な豊かさとは引き換えに人の心が掌握できず、大切な人が離れていく消失の物語。
『恋する惑星』ウォン・カーウェイ(1995)
たまたま話題についていけなかったのでAmazon Primeでレンタル。
当時の活力があって雑踏めいた香港の雰囲気が珍しく、ヒットしたのだろうか。なかなか言葉で説明することが難しい。少しも気合を入れずに見れる。
CaliforniaDreamin'と夢中人の長い長いPVを見ているような感じ。
『イルポスティーノ』マイケル・ラドフォード(1996)
同じくAmazon Primeでレンタル。映画を2画面で一つは冒頭から、もう一つは中盤から見始めてもストーリーがわかると聞いてそれを試してみた。
すると前半部分の録音部分と後半の再生部分がオーバーラップしてなんとも言えないミラクルが起きた。そんなことをしなくても非常に良いストーリーだったので、また劇場で上映される際は見に行きたい。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ロバート・ゼメキス(1985)
『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』ロバート・ゼメキス(1989)
『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3』ロバート・ゼメキス(1990)
今更であるが2時間飽きずに見れる映画でどれもよくできていると思う。新しい映画でぜひ見に行きたいというものがなくなってきたので、往年の名作をどんどん見ていこうかと思う。
『もののけ姫』宮崎駿(1997)
2週間の限定上映でかなり人が入っていた。正直同時期の映画で見たいものがこれと言ってなかった。
改めてみると東北から京都・奈良、そして中国地方に向かうまでの風景の変化や、朝廷よりも武士が力をつけていた背景など、色々発見がある。
今更であるがシシガミによる生命の収支(プラスとマイナス)を植物の生育と壊死での表現は素晴らしいものだと思った。

























