発表会を明日に控えた今、本当は細部を詰めるための練習をしないといけないが、疲れ果ててしまった。「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」というタイトルの本が売れていると聞くが、自分の場合は働いているとバイオリンの練習ができなくなる。確かバイオリンの練習を始めた3、4年前にも同じようなことを考えた気がする。
一つは情報と作業の即時性に慣れきってしまっているから。会社のスマホを起動すればメール、誰かの投稿、通知、色んな情報が流れてくる。体はどこにいても良い。移動しながらメッセージを打てる。仕事の世界に入ったり、そこから出ていくのがシームレスにできる。バイオリンはそうはいかない。まずは時計と指輪を外す。ケースを開け、楽器を取り出し、弓に松脂を塗り、チューナーで調弦をする。譜面台を立て、楽譜を置く。
やっと弾ける状態になる頃には、もう集中力が切れている。スマホでチューナーのアプリを開いた途端になんか通知が来る。それをみてしまう。難易度が低く、意味のないタスクを抱え込むことが嫌で、やらなくて良いことをこなしてしまう。いつまで経っても「弾く」に辿り着かない。30分の空き時間があっても、この準備が億劫でバイオリンの練習を始められない。
インスタントに楽しめるコンテンツに慣れすぎてしまっている。わざわざ準備をして、うまく音のならない楽器に向き合い続けることが辛くなってきた。頑張って10分、15分弾くと体に力が入っているせいか、くたびれてしまう。つまり自分はまだ練習を続けるだけの基本的な体力がないのだと思う。この作業に対する慣れがない。4年習ってはいるが本当の意味で習慣化できていない。息を吸うようにはできない。
仕事と余暇を簡単に切り替えられるような幻想を生み出しているのがスマホで、時間を有効に使えているかのような錯覚を覚えてはいるが、かなり不自由な時間の使い方を強いられている気がする。即時的な世界から抜け出し、読書や勉強やバイオリンは非効率ですぐに報酬の得られない活動に望むためには儀式が必要。だから一旦スマホの電源を切るとか、コーヒーを淹れるとかしないと頭も体も動いてくれない。雑念を払い、一連の準備を滞りなく進める心地よさを感じなければいけない。準備をやっているうちに何か通知が来るといくらでも練習しない理由を考えてしまう。それを断ち切る強烈な意志や情熱が自分にはない。
色んなタスクを効率よく進められている気になっているだけで、自分は浅い世界に馴染んでいるだけではないかと思う。浅くて、即時性に溢れたデジタルな世界の中ばかりを動き回っていると、深くて非効率な世界に入っていけなくなってしまう。この世界はユクスキュルの言う環世界のようなものか。時間の流れる速さ、報酬の即時性、情報の断片性、楽器や場所といった物理空間に縛られる制約、そういったものの違う世界の間は自由に行き来できない。だから働いているとバイオリンの練習ができない。無意識に続けている行為の慣性から逃れられない。
と、ここまで書いたところでできない理由を述べているにすぎない。これだと救いがない。この二つの世界を行き来するための一つの解決策はお金を注ぎ込むこと。スタジオを借りる。ノイズとなる情報を断ち切る。
即時性の世界のもつ引力から逃れるための莫大なエネルギーを伴う仕事はお金にやらせる。バイオリンに限らない。これをうまくできるようになると、もっと人生の幅が広がるはず。
