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村上隆(2018)『芸術起業論』国家観のなさとサブカルチャー

読み始めたきっかけ

新幹線の中で一気に読了。
Youtubeの密着動画やNHKの取材番組でも本人の言葉を聞けはするが、やはり文章で読む方が深く理解できる。
そもそもこの人のことを、「ゆず」のジャケットを書いている人、六本木ヒルズにオブジェを置いた人くらいにしか思っていなかった。

でも実際には芸術の構造そのものを極めてロジカルに研究し、新しい何かを実践しようとする人だった。芸術家だけではなく、働き方へのマインドという点も刺さる内容。

自分の仕事にも批評のための観点が必要。何を持って良い成果物なのか、それを審議する目が養われないと、何となく通じるその場のノリや雰囲気は一瞬通用するかもしれないが、最終的には価値を生まない。同時に、それは何というか、いわゆる働く上でのマナーや前提条件のようなもので、いつまでその精度を上げるフェーズに自分がいるんだ、という葛藤も出てくる。そんなものはそこそこに終わらせて、自分の成し遂げたいことに集中して、早く結果を出す方が良いのではないか。

印象的だった点

第1章 芸術で起業するということ

  • 「勤め人の美大教授」が「生活の心配のない学生」にものを教える構造からは、モラトリアム期間を過ごし続けるタイプの自由しか生まれてこないのも当然でしょう。
  • 欧米で芸術作品を制作する上での不文律は「作品を通じて世界芸術史での文脈を作ること」です。
  • 日本は好き嫌いで芸術作品を見る人が大半ですが、これは危険な態度。主観で判断するなら目の前にある作品の真価は無に等しくなる
  • 「アートを知っている俺は知的だろう」「何十万ドルでこの作品を買った俺は面白いヤツだろう」西洋の美術の世界で芸術は社交界特有の自慢や競争の雰囲気と切り離せないもの
  • アメリカではコレクターは寄付した作品の金額が税金控除の対象になっている。日本では固定資産として税金徴収の対象になるため芸術はひそかに所有されるが、アメリカでは税金控除の対象になり、作品売買が盛んになるもの当たり前
  • ヒットというのはコミュニケーションの最大化に成功した結果
  • 追い詰められた人間は能力を駆使して自前の正義を作り上げるがぼくが欧米の人に伝えるために組み上げた理論もそんなようなものです
  • 日本の美術界には社会と美術の接点となる歯車がない。芸術家も美術館も学芸員も報道側も評論家もルーティンワークをこなすだけに終始しているように見えます。そんな意味のないことをしたくて芸術の世界に入ったはずなのに、いつしか芸術界のサラリーマンのようになってしまう
  • 栄耀栄華を極めた経営者にはほとんどの問題はお金で解決できるものでしょう。人の感情もわかったような気になる、そんな時こそ人間は芸術が気になるようです。なぜならば人こそ、心の内実こそ、蜃気楼のように手に入れた瞬間に逃げていくものだということを知っているからでしょう
  • アートというのは贅沢な娯楽です。作品制作では厳しすぎるほどの眼を持つべきです(略)
「その仕事で達成される質の高い作品への探究心が、あるかどうか」
「その仕事の生むコミュニケーションへの好奇心が、あるかどうか」

第2章 芸術には開国が必要である

  • ジャポニズムも 結果的には写楽や北斎をハイアートの文脈でカテゴライズしてくれたのはフランス人やイギリス人であり、日本人が写楽や北斎のステイタスを作ったわけではありません。
  • 鳩摩羅什は、サンスクリット語の仏教用語を漢訳し、「極楽」「色即是空」「空即是色」などの単語を生み出した。サンスクリットの原典にはない煩悩是道場(煩悩は人を成長させるような道場のようなもの)を書き加えた(中略)仏典のハードコアな部分よりも聞いた瞬間にわかる言葉を求めていたのでしょう
  • ジャック・マイヨールというフリーダイバーが「潜水が世界に認められるための評価基準」を自分で作り上げたのは素晴らしい。血管に様々な液体を入れて潜り、肺に酸素がどう集まるかの実験というような潜水が一般に受け入れられるための指標を自分で作り上げたのです
  • 欧米と日本の芸術の違いは「日本の現代美術の歴史のなさ」を反映している。第二次世界大戦を無条件降伏した日本は、アメリカの支配の下に敗戦国が取らされる責任領域内で民主化された。その民主化の過程で階級社会がなくなりました。

第3章 芸術の価値を生み出す訓練

  • 作品を意味づけるために芸術の世界でやることは決まっていて「世界で唯一の自分を発見し、その核心を歴史と相対化させつつ、発表すること」。簡単に見えるかもしれませんが、正直な自分をさらけ出してその核心を作品化するには厳しい心の鍛錬が必要です
  • すごいアーティストはぐうたらに見えても実際はものすごく勤勉なのだけれど
  • アーティストはお客さんに育てられるところがあります。売れ始めるとアーティスト本人にも自信がついて不思議に絵が堂々としてくるんです。
  • ミュージシャンの中にはプロデューサーを次々に変えてそれぞれの持ち味を引き上げて自分のものにしてゆくタイプもいますけど、そんな風にしたたかに作品を仕上げていってほしいとぼくは考えているのです
  • 「練習やってきて」「描き直してきて」そう言われたらその何倍も鍛錬してくる人じゃなければ生き残れません。情熱の心が折れたらだめなのです。
  • 欧米のトップの美術評論家は時代の基準をきちんと作ります。確実な批評の訓練を受けたインテリですから論説もきちんと定石を踏んできますし、だからこそ芸術という非論理的なものに興味を持ち「わけの分からないものを論理で語ること」に挑戦できるのです。(芸術)芸術の作品の基準を伝える人が権威として存在している社会は、芸術家への行動への意味づけが正確ですから、美術が美術として機能しているのです。
  • 戦後の日本の美術の世界は「醤油くささ」の隠蔽と外国料理の模倣に明け暮れたようなものです。
  • 文脈の歴史の引き出しを知らずに作られた芸術作品は、「個人のものすごく小さな体験をもとにした、おもしろくもなんともないちっちゃい経験則のドラマ」にしかなりえません
  • 歴史の探索の方法を美術大学では教わらなかった。もちろん西洋美術史や日本美術史の授業はありましたが、「作品制作のためのデータベースとして歴史を扱う」という方法は教わりませんでした
  • 目に見えない脅迫観念を最も有効に活用してきたのが日本の広告代理店であり、ある意味では日本の広告は戦後の日本の権威消失に寄与した本尊になっています
  • 「国家」を取り上げたら腑抜けた世界観が蔓延したという実例が日本で、そういう世界の芸術はアニメや漫画という卑近なところに出現することになるのです。つまり日本の敗戦後の「基盤を抜き取られた世界観」は、今後世界中で共感を受ける文化として広がるのではないでしょうか。まさにこちらの芸術理論の構築も待たれるところです。
  • 大学、専門学校、予備校を入れれば、毎年何十万人もの美術学生が新しく生まれている国、人口比で言えば世界一の美術国ではないか
  • 日本はこうして権威への渇望感に比例して高級ブランドの権威を消費する国になってしまった

第4章 才能を限界まで引き出す方法

  • 徹夜をすることは地獄でも何でもありません。(中略)芸術の矛盾を抱える苦しみを見ようとしないで「一生懸命」という幻想の中になぐさめを見出している場合ではないでしょう。
  • 怒りがない人を無理に引き上げることはなかなかできないんです。
  • 毛沢東「若いこと、貧乏であること、無名であることは、創造的な仕事をする三つの条件」
  • 「作品のために何でもする」という正義があるかどうかで、結果が変わると思うのです。怒りや執念や「これだけはしたくない」という反発は重要なのではないでしょうか
  • だめなときは「絵のテーマがわからなくなっている」「何枚仕上げなければいけないから、前に使ったあの発想を持ってこよう」
  • 絵を続けるための動機は、絵を始めたときの動機よりも、ずっと大事なこと。
  • いつも決まった相手と「まあ、今日はこんなことをしようか」というような作品ではつまらないでしょう
  • 経済はズタボロで外交はめちゃくちゃで誰も政府のことを信じてない、イギリスもヤバくなるほど音楽がよくなった。ズタボロな国だから芸術の栄養素があるかもしれない。住環境の悪さが日本人のストレスに耐える強さを生んでいたりするわけですし。
  • 日本人はある意味では刹那的な考え方をしています。もともと、江戸時代には大火事が頻繁にあったときにさえ、本来なら惨劇であるはずなのに、逆境を笑い飛ばして「経済の活況を呼び込むもの」と受け取っていたようなところもある
  • 戦後の焦土から生まれ続けている日本の「かわいい」キャラクターはアメリカのディズニーの影響を受けていることは明らかですが、「何もかもなくなってしまったところから新しい命を誕生させたい」という願望から来ているのかもしれない。
  • ロンドンのアステカ文明展を見たとき、千手観音みたいな像があった。手や顔がたくさんあるのは人の欲望の象徴であり、人間の限界を突破したいときに使う表現だと思いました