ゴールデンウィークの飛行機の移動中に読了。橋の上の屋台を紹介してくれた友人が勧めてくれた本のうちの一冊。
www.goodnalife.com文章が上手い。「上手い」とは何か。世の中への違和感や問題提起を、下品な煽りではなく、節度と論理をもって提示できること。そしてそれは、理屈の世界に閉じたものではなく、実際に里山に暮らし、土に触れてきた実践を伴っていることによる説得力があること。
自分はすっかり人工的で一見綺麗な世界に飼いならされている。たまに自然が恋しくなって山や海に行くけれど、それはレジャーの枠を出ず、生態系のサービスを享受して満足しているだけ。仕事では自然の経済価値を計測し、可視化するテクノロジーを褒めそやしていて、そこには「死」や「腐敗」、汚いものや臭いものの一切は出てこない。まだ生きた言葉を使えていない気がする
以下は印象に残った箇所
第1章
・生はいつも、生の解体がもたらす産物なのだ。生はまず死に依存している。死が生のための場所を残るからである。
・「清貧の思想は支配者の思想に過ぎない」
・堆肥と化学肥料は主要な成分は同じであるが、前者が小動物や微生物の分解力で作られるのに対し、化学肥料は化学的に合成して作られる。
第2章
・ジェームズ・C・スコット:
「首都の中心における厳格な視覚的な美観へのこだわりは、薄暗い居住地と多くの不法占拠者が暮らすスラムを生み出す」
第4章
・里山「保全」とは言いたくない。人類の行いの破壊的すぎることへの反省という意味合いは首肯できるものの、この語に付随する人類の優越というニュアンスは気に入らない。
・國分功一郎:何事も楽しむには訓練が必要(『暇と退屈の倫理学』)
・世界は開かれている。この世界において異種たちの存在を悦べる感性の土壌を肥やすことができれば、わたしたちの世界は蝶番に油が差されたように滑らかに、よく開くようになるだろう。