2月に海外出張の前日の夜。友人に橋の上の屋台に連れて行ってもらい、そこでこの本に出会えた。
屋台をやるという選択肢は全く思いついたこともなかったが、直感的にはいいなと思った。数々の旅先で買ったコーヒー豆、そしてボトルワインを売り歩けたら面白いかもしれない。自分が誰かに提供することで味や風味の違うをアウトプットする機会ができていいかもしれない。気の向いた時にだけ店をやれる。店舗のような決まった場所はいらない。
みんなと同じようなことで悩むし、恥ずかしがり屋だし、人前に出ると緊張する。だけど屋台があるとなぜか表現できるというか、自分を出せる。
継続が目的ではないし、どこかで屋台がなくなってしまうことも期待している。10年以上続けているけれど、やめる手段を誰かに委ねている。
商売はあるものをそれがないところに運んで差額で稼ぐことが基本です。すごくシンプルで難しいことはないけれど、日本のように仕事をすることのハードルが上がってしまった世界に暮らした私からするととても興味深い。
屋台にタイヤがあれば何かあったときにすぐ移動できて対応できる。社会やコミュニティに入ってしくじったらトンズラすればいい。モビリティは大事
ええもんは一回抽象(コード)化されるけど、やがて必ず、一切の抽象を拒むように個別(ノイズ)化される
小津安二郎『秋刀魚の味』(1962年) 学校教師を退職後に支那そばやを営む選択肢がまだあった時代だった。