Instagramでフォローしていた旅人が紹介していた本。天才的なクライマーの自伝。自分がクライミングをやっていたらより楽しめたのだろうなと思う。
著者は冒頭で、父親を亡くしたことで人生を精一杯生きるためには今を楽しむことが重要だと悟ったと書いている。自分も今年は周りに不幸が相次いだので、その実感は強まった。
先週、中国・西安の兵馬俑を訪れたが、現地のガイドの方が当時は始皇帝を含め現世よりも死後の世界に重きを置いていたと話していた。だからこそ自らの墓の立地にこだわり、莫大な労働力を動員して墓を守るための埴輪を作った。始皇帝は13歳で即位したときから墓の建設のプランを持っていたらしい。国や各人の宗教観による違いはあるだろうが、より現世に重きを置く世界へと歴史は道をたどり、そのタイムステップが徐々に短くなっているのだと思う。言い換えると、即物的な、唯物的な見方が強まりすぎて、死後の世界への想像力が失われてきているのかもしれない。今のところそこまで必要ないとは思っているが。
以下、印象に残った箇所
- 登山家のマークトュワイトはクライミングを自殺を未然に防ぐ手段だと呼んだ
- ボルネオ島の最高峰キナバル山(4,095m)は熱帯雨林からそそり立つ巨大な一枚の花崗岩。今日も未踏の岸壁が残っている
- マークがエネディ砂漠を見つけたのは衛星写真に目を凝らしていたときだった。カメルーンに遠征した時に北東に接するチャドでクライミングができないかと思いついた
- なぜ遊牧民は砂漠の中を正確に移動できるのか。井戸に辿り着けなければ脱水症状を起こしてしまう。遊牧民は太陽と風向きで方向を知ることできる
- 多くの人、特にアメリカ人は「キャンプに行く」ことを素晴らしいことだと考えているが、キャンプ生活にとりわけ魅力を感じるのは普段キャンプをしない人たちではないか
- フリーソロをする時の不思議なパラドックス。不安になるのは実行に移す前の時間のほうで、「本当にやるのか」と自問し続ける。しかし、覚悟が決まればその不安は消し飛んでしまう
- フィッツ・ロイは南パタゴニアに聳え立つ花崗岩の最高峰で、ロバート・フィッツロイ艦長が1830年代にビーグル号で成し遂げた有名な航海は、同行したチャールズ・ダーウィンが進化論を提唱するきっかけとなった
- 死をもたらすのは高難易度のクライミングでもなくフリーソロでもない。命を奪う危険性があるのは何度となく繰り返しているやさしいクライミングなのだ