今年のはじめに青年団の同タイトルの公演を見に行った。明治時代の文豪たちが当時と現代を行き来するパロディ。
終盤には生成系AIが出てきて文学や文学者が消滅してしまう中で、「もう一人の夏目漱石が宇宙で生まれる」と、このセリフで一気に抽象度が上がる感じにやられた。
明治時代の日本人は自らの内面を記述する言葉を持たなかった。使う言葉も語法もワンパターンで、書く本人が本当にこんなことを思っているのか、と疑いながらも、それ以外の方法で心を記述する術がなかった。この内面を表す言葉を作ろうと苦心していたのが作家であり、それこそが文学の目的だった。自分たちが普段当たり前に使う口語体、内面を描写するさまざまな比喩は、連綿と続く日本近代文学の発展があってこそだったのだ。
以前博物館で昭和初期に書かれた日本兵の手紙を読んだことがある。やたら見た目はいかめしく、美辞麗句が並ぶような文章を見て、全く感情移入できなかった。もしかすると彼らの内面が別のところにあり、それを表現する術がなかったのかもしれない。