Goodな生活

経済学修士→環境コンサル→データサイエンス

『惜別』偽善を勘で見抜く力こそが教養

これまで知らなかった太宰

巻末の解説を読むと「昭和18年(1943年)内閣情報局と文学報国会の委嘱に応えて書いた国策小説」とある。太宰治はこれまで「走れメロス」や「人間失格」ぐらいしか読んだことがない。特に後者は映画のイメージによって滅びの美学というか破滅的な作家というイメージが先行してしまっていた。まさかこんな憂国の小説を書いているとは知らなかった。魯迅(周さん)は、熱狂に湧く日中の大衆に向けられた冷ややかな目線を投げかける。日露戦争の勝利に湧く日本、孫文の三民主義が支持され革命の気運が高まる中国(清)。どちらも熱狂的な愛国心の表れであり、それでいてどこか表面的で全体主義いわば思考停止のような人々の振る舞いに馴染めない、と魯迅は語る。

「無用の用」と「不要不急」

ただし批判だけではない。世界の文学作品を熱心に読む東京の若者の姿が、文芸の存在価値を主張する伏線のように描かれている。文芸は戦時下で無用と見なされ、当局に忖度する作家を横目に、太宰は文芸の意義を訴えようとしている。それが物語の終盤、魯迅によって書かれた文章の本質についての短文である。文章には政治のように人々に対して指導力を持つ意味での「用」はない。国の存続にかかわる実利はない。しかし徐々に人々の心に染みわたり、それを充足させる「用」はある。これが無用の用である。

コロナ禍により不要不急という言葉が広く使われるようになった。特にエンターテイメント業界は連日存在意義を問われているような状態だと思う。表現者だけではなくライブを愛する一般の人も多くいるだろうし、自分の趣味や生きがいが必要ないと認識される社会に暮らすことは、やはり辛いものがあると思う。太宰がこの作品を通じて世に問いたかったのはまさにエンターテイメントの存在意義ではないか。

誰にも目撃せられていない人生の片隅に於いて行われている事実にこそ、高貴な宝玉が光っている場合が多いのです。それを天賦の不思議な触覚で探し出すのが文芸です。(中略)文芸が無ければ、この世の中は、すきまだらけです。文芸は、その不公平な空洞を、水が低きに流れるように自然に充溢させていくのです<<