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経済学修士→環境コンサル→データサイエンス

『実力も運のうち 能力主義は正義か?』能力主義の根底にあるプロテスタンティズム

今年発売されたマイケル・サンデル教授の新書。原題は『Tyranny of Merit』、メリット(業績、功績、能力)による専制政治。邦題にある能力主義メリトクラシー)とは生まれや身分ではなく、個人の業績によって社会的身分が配分される(成功できるかが決まる)という考え方。一見このような社会は平等に思えるものの、勝者(エリート)と敗者という新たな階級構造を作り出し、分断をもたらす。本書の第2章に能力主義の歴史がまとめられており、プロテスタントの労働倫理(プロテスタンティズム)が能力主義の精神を育む土台となった、という指摘が面白かった。

能力主義メリトクラシー)の歴史

能力主義は聖書神学と密接に関わっている。聖書神学における自然現象には何らかの理由がある、すなわち成功を功績に、苦難を悪事に結びつける考え方が能力主義の起源となっている。

成功(功績) 苦難(悪事)
聖書神学 好天、豊作(善行へのほうび) 干ばつや疫病(罪への罰)
現代 富(才能や努力) 貧困(怠惰)

後に救済をめぐるキリスト教の議論において、人間の自由意思、個人の責任を認めるかどうかが論点となった。初期のキリスト教哲学者アウグスティヌスは「人間の自由意思を認めることは神の全能性を否定する」ため神の恩寵のみよる救済にこだわった。しかし儀式や典礼といった教会の慣行が信仰を表面的なものにしてしまう危惧があった。5世紀のアウグスティヌス、16世紀のルター・カルヴァンは、人間の自由意思を否定し、救済は人間の能力や功績によって決まるという能力主義に反対した。救済は神の恩寵によるものだと主張する点で共通する。

初期のキリスト教神学 アウグスティヌス 個人の自由意思は神の全能性を否定する
宗教改革 ルター 救済を金で買うのは腐敗した慣行
(免罪符の批判)
宗教改革 カルヴァン 救済は神に予定されている
(予定説)

ルターとカルヴァンの主張はアウグスティヌスのように神の全能性を重んじるというよりも、人知を超えた絶対的な存在、服従の対象として神を重んじた。というのも、当時中世のギルド社会から資本主義社会に移行する中で、個人的な自由に伴い孤独や不安が生まれてしまった。安定した地位が失われ、個人の能力が市場で評価される社会への不安を和らげるため、人間や経済を超えた存在としての神とい解釈が必要だったのだと思われる。

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面白いのは「個人の自由意思を否定した宗教改革が逆説的に能力主義を育んでしまった」というマックス・ヴェーバー『プロテスタトの倫理と資本主義の精神』の主張である。カルヴァンの唱えた予定説では、あらかじめ救済されるかどうかは神が決めていることであり、個人は自分が選ばれる側かどうかという不安を抱えることになった。神の恩寵を受けている確信を得るため、「天職を全うし、熱心に働く」という労働倫理が生まれた。ここでは当初の宗教的動機は薄れ、資本主義を加速させるための基盤が提供されている。人間の努力と救済(神の摂理)が結び付けられ、能力主義が加速することになった。