Goodな生活

経済学修士→環境コンサル→データサイエンス

『知的生活の方法』読書"道"を極める人のために

大学生時に一度読んだことがあるのだが、当時は研究者の卵に向けて書かれたハウツー本という印象だった。しかし今回、改めて読んでみると、本書は読書”道”を究めた著者による入門書ではないかと思えた。道というのは、思想と作法の両方の要素を含む、という意味においてである。読書を愛した著者が、最大限読書を楽しむための工夫を言語化した本だ、と説明された方がしっくりくる。初版が1976年であるため、既に45年の月日が経っているものの、古臭さはない。

まず印象に残ったのは老後について書かれた次の一節。

「老齢はこわくないぞ」ということである。(中略)いっさいの義務から解放された状態で、次から次へと新刊を取り寄せて朝から読んでいられる定年後の人生が、いまでは待ち遠しいような気もするのだ。この知的な喜びの源泉は、私が少なくとも読書に関しては「自己に忠実」であったことの報酬として与えられたものだと解釈している。

これは何も読書に限った話ではない。何の手段でもなく、それ自体を楽しめる趣味があると、老後に得られる膨大な時間が楽しみになる。ただし、それ自体が目的となる楽しみに出会えるかどうかは、「自己に忠実」であるかどうかにかかっている。これはもっともな話で、年を取ってなお自分は何が好きなのか分からない状態だと悲惨極まりない。老後が怖い、というのは膨大な時間の使い方が分からないということなのだと気づいた。

次に、繰り返し読むことについてのくだりである。

あなたは繰り返して読む本を何冊ぐらいもっているだろうか。それはどんな本だろうか。それがわかれば、あなたがどんな人かよくわかる。しかしあなたの古典がないならば、あなたはいくら本を広く、多く読んでも私は読書家とは考えたくない。

これは一度読んだ本は二度読まないという友人の姿勢に疑問を抱いた筆者の回答でもある。何冊読んだから偉い、という話ではないのだろう。これはもしかすると登山に対しても当てはまるかもしれない。やれ百名山など、バッチを取得する感覚でたくさんの山に登ってみても、自分にとって特別な山を語れないと、それは虚しい勲章。

そして、時間帯(朝か夜か)と生産性について述べられた箇所も印象だった。人間社会の仕組みと血圧とが関係しているのではないかという一節である。

戦国時代の武士一般も高血圧型だったろう。つまり早起き型が支配者になってに違いない。また商店の開祖になるような人も高血圧型だったろう。農民は日のあるうちにしか働けないから早起きでなければ生きていけない。このように昔はすべて早起き型に合わせた社会のリズムができ、それが定着してきたのだろう

学校や会社もその最たるものではないか。ただ働き方もだんだんとフレキシブルになっていくはずなので、今までの十分に能力を発揮できていなかった低血圧型の人が活躍しやすい社会が来るかもしれない。

既に亡くなれられてしまった著者であるが、最近の電子書籍の普及についてどのような意見を持っているのか質問してみたい。紙がデータに代わることで、蔵書のための空間的な制約から解放される。これは読書の価値を下げてしまう行為なのだろうか。紙の本を手にとって読む、書庫・書斎を持つことの価値は変わらないものだろうか。