Goodな生活

経済学修士→環境コンサル→データサイエンス

必要なのは自由ではなく制約ではないか『自由からの逃走』

個人の不安を取り除くためのプロテスタンティズム

中世社会には個人的な自由はなかった。階級や地理的な移動の機会はなく、職人や百姓は一定の場所、一定の価格で生産物を売る。ギルドの構成員は排他的な経済活動を行う。社会階層との結びつきの強い社会だった。近代社会に移行すると、資本主義の発展により競争が生まれ、個人が解放される。職業や住む場所が自由になる一方、創造性に関する不安を覚える。中世社会には個人的な自由はなかったが連帯感や安心感があった。近代社会では個人的な自由が実現される一方、自らの拠り所のなさに対する孤独や不安が生まれるようになった。人は自由を謳歌できるほど創造的ではなかったことに気付く。この不安を慰めるためにキリスト教の再解釈が必要だった。カルヴァン、ルターによる宗教原理は、人間の無力さを認め、絶え間ない努力によって罪を償うことで、人知を超えた神に絶対的に服従する。努力し、服従することで不安を克服できる。この新たな宗教解釈が、経済的な発展を押し進める要素となった。

現代人の不安をどのように取り除くか

自由であることの不安からは逃れられないのではないか。この意味で現代においても宗教は必要なのかもしれない。別に特段の教典や行動様式を伴うものでなくてもよい。もう一つは問そのものを変えること。不安をどう取り除くかではなく、いかなる制約下に自らを置くか。時間や場所、組織に縛られない、そんな働き方を標榜する人もいる一方で、そこまで自由になって成し遂げたいこととは何なのだろう、という気もする。結局どれだけ個人的な自由を獲得し続けても、孤独や無力感からは自由になれないのだと思う。多様性の時代。住む場所や職業など選択の自由を得る一方、自分の拠り所のなさという不安も増えてしまうのだと思う。だとすれば発想を変え、個人的自由を犠牲にするに足るような組織への帰属や束縛を探したほうがよい。制約は所与ではない。自ら決断して自らを鎖につなげることができる。おもねる権威や規範を選択する。我々現代人に必要なのは自由ではなく制約なのかもしれない。