Goodな生活

経済学修士→環境コンサル→データサイエンス

首里は曲線で溢れている

首里に滞在して気づいたこと。首里城を含めて町中が曲線によって構成されている。

首里にみる曲線

崎山から当蔵まで曲がりくねった坂道を歩く途中、ふと一直線の道路が現れた。崎山馬場である。かつて琉球競馬のための馬術訓練が行われた場所だ。琉球競馬は広く知られるJRAの競馬と違い、速さを競うものではない。側対歩*1と呼ばれる歩き方を馬に覚えさせ、その美しさを競うものである。馬場は首里で目にすることができる、唯一の直線ではないだろうか。

首里城の城壁も見事な曲線を描く。城壁だけではない。門に続く石段にも角度が付いている。もちろん敵の侵入を遅らせる防衛上の理由もあるだろうが、それ以上の美意識を感じた。建築には全く詳しくはないが本土の城とは明らかに様相が違う。自然の要塞、権力の象徴といった雰囲気は微塵もなく、風が通り抜けるための通路のような風貌をなす。悠久という言葉が浮かぶ。浦添ようどれを思い出した。これが城とグスクの違いなのだろうか。

首里は城下町でありながら、整然とした区画の整理はなされておらず、坂道となだらかな曲線が入り組んでる。どうやら琉球王国当時からこの様子だったらしい。

沖縄県立図書館のデジタル書庫では、1700年代初頭(諸説あり)に作成された古地図が公開されている。

www.library.pref.okinawa.jp


今でも王国当時の石垣や塀は数多く残っている。一見コンクリートのブロック塀に見えても、基礎(下部)の部分には石垣や琉球石灰岩が残る。住宅の外観が変わったとしても道幅はそのままだ。『ペリー提督日本遠征記』には、1870年代の琉球の様子が記されている。

提督は首里について次のように語っている。「これほど清潔な都市を私は今までに見たことはない。一片のごみや塵も見ることはなく、中国のあらゆる都市の汚なさ」とは非常に異なっている。

郊外の曲がりくねった小道をしばらくたどっていくと、那覇から首里にいたる広い舗装道路に出た。それは、イギリスのマカダム工法(砕石舗装)の道路にも劣らないほど立派な公道だった。両側の珊瑚岩の塀は、きわめて正確に接合されている。

300年前の首里の街並みは、小さな路地や民家の塀の下に確かに残っている。

*1:左右それぞれの前・後ろ脚を同時に出す歩き方