Goodな生活

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『写真家ドアノー/音楽/パリ』

フランスの写真家ロベール・ドアノーの写真展に行ってきた。渋谷Bunkamuraで3月31日まで開催されている。

www.bunkamura.co.jp

今回はパリの音楽をテーマにした展示。入口ではパンフレットと、展示作品にまつわる音楽を解説したペーパーをもらった。

パリの音楽

1940年代に撮影されたドアノーの初期の写真の画質がとても鮮明だった。機材や技術に差があるのか定かではないが、仮に同年代の日本人写真家の作品と並べると、より違いが分かったと思う。そして被写体の人々の服装や髪型がおしゃれ。表情が明るい。都会(パリ)こその雰囲気かもしれない。男性のセットアップ、女性のスカート、いずれも品がある。解説によると戦後の復興期に撮られたものだったが、生活の苦しさを感じさせるものはなく、どこか余裕すら感じた。

入口でもらったペーパーの一節にこうある。

ドアノーが撮影した20世紀のパリ、音楽が満ちていたパリは、21世紀の人たちにはいささか遠く感じられるかもしれません。さまざまなメディアが世界中に広まり、音楽は、今どこが中心というふうではなくなっている。

音楽に限った話ではないと思う。都市化や一極集中が見直され、多様性が重んじられる社会に変わりつつある。人々の興味や関心は分散され、同じ時間と場所を共有する機会も少なくなっているのだろう。

今回の展示では、アコーディオンが度々登場する。パンフレットの表紙のピエレット・ドリオンもアコーディオン弾きである。街角や酒場で流し、日銭を得る彼らのスタイルには、携帯性そして電源を必要としないアンプラグニティ(こういう言葉があるかどうかは知らないが)を兼ね備える楽器が必要だったのだろう。他にも路上でバイオリンを弾いたり、ギターを肩に担いで持ち運ぶ姿を写した写真もあった。技術の変遷に伴い、音楽の楽しみ方も変わっていく。同期から非同期へ、つまり同じ時間と場所を共有せずともコンテンツを楽しめるようになった。

モーリス・バケ

展示の中で一際目を引いたのがモーリス・バケのコーナーだった。他の写真が日常の一幕を切り取った印象がある一方、このコーナーは作意や技巧に満ちている。モーリス・バケは今でいうマルチタレントだろうか。「チェリストにして俳優、登山家・・・」という紹介文を読んだだけでもどんな人物だったのか興味が湧いてくる。写真の一つに、彼がスキー場でチェロを弾く写真があった。ゲレンデの麓で椅子に座り、それを観客が囲んでいる。少し離れたところでスキーヤーが斜面を滑り降りている。その様子を離れた場所から写したものだった。写真全体から伝わるユーモアに惹かれ、モーリス・バケのキャリアをテーマにした展示が見たいと思った。

出口付近の売店でモーリス・バケのポストカードを探したが、雨の中でチェロに傘を差した写真の1枚だけだった。どちらかと言うとこれは保守的な1枚で、もっとウィットに富んだものがあるのにもったいない、と残念に思った。

パリ祭のラストダンス

ドアノー展の最後の一枚は「パリ祭のラストダンス」。パリ祭は、フランス革命の発端となったバスティーユ監獄襲撃事件の起こった7月14日に設けられており、フランス共和国の成立を祝う日。既に静寂を取り戻したアパートのそばで、祭りの余韻に浸りながら踊る男女の写真である。静と動の、なんとも懐かしい気持ちにさせるようなコントラストがあった。

お祭りが我々の記憶に強く残るのは、その熱狂や歓声の瞬間そのものではなく、同じ空間にいながら、それらが過ぎ去った後の感傷によるものではないだろうか。確かに存在した、けれどもう今はいない、という抗えない連続的な時間の流れと、非連続な世界の移り変わりに、我々は心を打たれるのかもしれない。桑田佳祐の楽曲の「祭りのあと」を耳にした時、同じようなことを感じた。

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