Goodな生活

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データサイエンスと弦楽器を探究する

『KGBの男』共産主義と自由主義の世界を行き来する

東西冷戦時代に実在した、旧ソビエト諜報機関KGBのスパイ、オレーク・ゴルジエフスキーの実話。KGBのスパイでありながら、母国の共産主義体制のあり方に疑問を持ち、英国MI6の二重スパイとなる。このドキュメンタリーは、一人のスパイの人生を通し、我々はどのような世界に生きたいのかという問いを投げかける。共産主義自由主義という社会システムの良し悪しを、マクロな政治的判断から個人の価値判断の問題にまでブレイクダウンし、考えるきっかけを作ってくれた。

1960年代、世界は二つの陣営に大別された。東側はソビエト連邦を中心とする共産主義国家、西側は米国、英国等の資本主義国家である。ソビエトに生まれ、KGBのスパイとして活動し始めたゴルジエフスキー。彼は1961年のベルリンの壁の建設、1968年のチェコプラハの春に対するソ連軍の侵攻を目の当たりにし、徐々に共産主義に懐疑心を抱く。

当時のソビエト連邦の実情が生々しく語られている。共産主義の道徳を強制するため、国家に反すると見なされたものは摘発され、刑罰が与えられる。市民に自由はなく、互いに監視を行い、家族間であっても本音は話せない。外交官としてソビエト連邦外のデンマークに出向したゴルジエフスキーは、祖国を振り返り「窒息するような場所」だと感じるようになる。

ゴルジエフスキーがデンマークからソビエトに帰国した際、ソビエトの音楽について次のように語っている。文化的に豊かなデンマークと退廃的なソビエトの音楽との違いを強烈に感じた場面である。

彼が精神的に何よりつらかったのは音楽だった。愛国的な雑音が、街角という街角に設置されたスピーカーから流れてくる。共産主義の教義に従って書かれた、退屈で、大音量の、聞きたくないと思っても耳に入ってくる、スターリンの音楽が流されているのだ。彼はこれを「全体主義的不協和音」と呼び、これに毎日襲撃されているような気分だった。

一人ひとりの人間が、社会のあり方を考えることに果たして意味はあるのだろうか、と思うことがある。社会主義や計画経済に利点があるのと同じように、資本主義を拡大させることによって得られる恩恵も少なくないと思う。リベラルと保守、平等と競争、反グローバリズム自由貿易、様々な言葉で対立軸を説明することができるものの、どれも個人の幸せと直接結びつけて考えるには、少し距離が遠い。しかし、ゴルジエフスキーによるデンマークや英国とソビエトとの比較は、社会システムの良し悪しを個人の価値判断の問題へと視点を移動してくれたのではないか。移動というよりも、イデオロギーというオブラートに包むことなく、個人の信条や趣味に触れることなく、社会システムについて語ることが実は難しい。そのようにも思った。ゴルジエフスキーは本書の中で何度もソビエトの文化的退廃について嘆いている。

ゴルジエフスキーと対照的なキャリアを歩んだのが、英国のMI6に所属しながらKGBのスパイとして活動したキム・フィルビーである。彼についての書籍を読むことで、共産主義やそれを支持する人間についてより立体的に理解できるのではないか、と考えている。