Goodな生活

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データサイエンスと弦楽器を探究する

飢餓感・渇望感を伴う読書

1月に引っ越すことが決まったため、少しずつ物を捨て、荷造りを始めた。家具は売ったり誰かに上げたりして処分すればいい。問題は本。とりあえず段ボールに詰め始め、そういや今の家に越してきてから3年半でほとんど読まなかったものもあるなあと気づいた。

紙の本を手元に置くメリットは、当たり前だけれどいつでも手に取れる点。しかしこれは情報の希少性を失わせる、つまり別に今読まなくてもいいかという気分させ、結局本棚のスペースを埋める以外の役割を果たさせないことにもつながる。Kindleもそう。セールやTwitterの告知だけを見て買ったものの一度も開けていないものも少なくない。

例えば図書館で予約待ちをしてやっとのこと手に取る新刊や、ネットで調べても分からない、原文を読まないと意味の分からない記述、解けない証明。何か特定の目的(や検証したい仮説)を伴って手に入れる情報は、紙であれ電子媒体であれ、やはり記憶に残るものだと思う。なので本に接する上ではある意味飢餓感や渇望感が必要なのかもしれない。(この心理を逆手にとったのが自己啓発本で、だからこそ似たような内容のものが再生産され続けているのだと思うけれどそれはそれでよい)

こういう渇望感・飢餓感をもって本を読む感覚が最近は薄れてきている。いつでも手に取れることがその理由ならば、今回の引っ越しで、今家のある本を実家に送るか、トランクボックスを借りて保管し普段は読めなくなるようにするか、何らかの措置ができる。いやむしろ物理的な配置は関係なく、自分が本を読む特定の目的を設定できていないからかもしれない。

ただし飢餓感の醸成のために目的は必要かというとそうでもなく、例えば中学生の頃はやたら洋画を見た時期(1年間に60本ぐらい)があり、当時は映画を見る目的というよりも、「映画ぐらい見ておかないと自分はこのまま人生が終わってしまうのではないか」という得体の知れない焦りを感じていたように思う。今振り返れば。今の自分にはそういう内面から駆り立てられる焦燥感はほとんど感じない。引っ越しの準備をしながら、ポジティブな飢餓感・渇望感はどうやって生まれるのか、ということを考えていた。