Goodな生活

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環境エネルギー分野のシンクタンク職員です。統計学や計量経済学の学習メモ、読んだ本や映画、たまに登山や音楽の話。

沖縄について知らなかったこと

皆さまは沖縄についてどんなイメージを持っていますか?

本州は関西出身の自分にとっての沖縄は、沖縄戦ひめゆりの塔基地問題など、太平洋戦争とアメリカに翻弄された悲しい場所であると同時に、サンゴ礁の豊かな南国で時間がゆっくり流れる場所、というイメージの少し遠くの場所でした。今回沖縄で仕事をされていた先輩と現地の方に案内していただいた中で、初めて見聞きすることが多かったため、備忘メモとして書いてみようと思います。

米軍基地と軍用地

那覇市内の道路を走ると「軍用地売買」や「軍用地買取」と書かれた看板が目立つ。軍用地とは、米軍の基地や飛行場に使用される土地のことで、元々は個人が所有していた土地が戦時に米軍に占領されてしまったものらしい。現在は防衛省が米軍に軍用地を貸し出し、土地の所有者は日本政府から借地料を受け取る、という形の賃貸借関係が生まれており、軍用地の所有権が不動産のように取引されているらしい。なぜ軍用地が問題かというと、戦後のどさくさの中で個人の所有権が主張された土地が一定数あったこと、そして毎年確実な収入(借地料)を得る上では基地の返還がリスクになるためである。

これまで環境破壊や騒音問題の観点から基地の移転を巡るニュースは数多く目にしてきたものの、軍用地の利回りや、返還された土地の使途について想像したことがなかった。軍用地の所有者にとっては、米軍に居続けてもらう方が得なのではないだろうか。逆に言えば米軍基地の存在が沖縄の経済発展を阻害した、という話も聞いたことがない。

那覇空港近くの那覇軍港は移転が決まったらしく、敷地内はひっそりとしていた。今後どのように再開発が行われるか、注目したい。

未収集の遺骨

沖縄戦で犠牲になった人々の遺骨収集は現在もなお行われている。遺族側と、戦没者のDNA鑑定を行う厚生労働省側とでは、未収集の遺骨の数に大きな乖離があると聞いた。特に地上戦が繰り広げられた糸満市には多くの未収集の遺骨が残っており、ガマと呼ばれる多数の防空壕ひめゆり学徒の一部が追い詰められた荒崎海岸には毎年ボランティアの方々が収集に訪れているらしい。荒崎海岸は、だだっ広いサトウキビ畑の中、未舗装の道を進むと海が現れる。周りにはほとんど建物もなく、戦時中も同じような景色だったのだと想像がついた。

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荒崎海岸。近くにサーファーの方もいました
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艦砲射撃で削られた崖from平和祈念公園。この下にもたくさんの遺骨が

闇市の名残の水上店舗

那覇牧志は元々は戦後の闇市に端を発し、ガーブ川の上に水上店舗が立ち並んでいたらしい。店舗と言っても上階部分以上は公営住宅となっており、今でも人が住んでいるようだった。水上に住む人、で思い出すのはブルネイの水上集落カンポン・ビレッジである。ブルネイでは今でも水上で暮らすのは貧困層だと聞いたが、牧志にもそれが当てはまるのかどうかは分からない。せんべろの飲み屋がたくさんあり、現地の人々で賑わっていた。

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ちょうど暗渠になる部分で川が途切れている

普天間基地とセメント産業

沖縄の基地問題で度々話題に上るのが、普天間基地辺野古キャンプ・シュワブ)への移設である。この辺野古基地の拡張(埋め立て)に使用する土砂やセメントは、名護の安和から搬出される。安和から辺野古への土砂の搬入は、ダンプカーからパイプラインを介し、タンカーを使って行われる。辺野古移設反対を唱える老人が、パイプラインに向かうダンプカーのすぐ近くでプラカードを提示し、抗議運動をする様子が確認できた。2,3人の老人と機動隊員1人とが言い争っているように見えた。

この問題はどう捉えればよいだろか。基地拡張工事の受注によって収入を得るセメント事業者と、辺野古周辺住民との対立なのか、それとも普天間基地の移設に反対する人々がいるのか。表面的な対立とその背景にある論理が異なっているように思えた。

コンクリートの建築物

沖縄ではコンクリートブロックによる建築物が目立つ。戦時中に住宅の大半が消失し、テントや板張りの応急住宅では台風に耐えられなかった。米軍が基地施設や軍人用住宅をコンクリートで建て替えたことから、住宅のコンクリート化が始まったらしい。新しい住宅で木造の物はほとんど目にすることがない。

大型施設にもコンクリートは使用されている。中でも名護市の市役所は人々が集う場所をコンセプトに設計されたもので建築界隈でも評価が高いらしい。

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名護市役所。竣工当初は壁面にシーサーがいっぱいいたが崩れて撤去されたらしい

沖縄の鉄道

沖縄の鉄道と言えばゆいレール沖縄都市モノレール線)が有名。ただし、開通は2003年と歴史は浅く、本州の都市部の駅とは違い、沿線開発を見込んで駅の立地が決まっている訳ではなさそうである。もっぱら移動手段は車だと言える。ただし戦前の沖縄には軽便鉄道と呼ばれる小型蒸気機関車が走っており、那覇から嘉手納や糸満まで線路が伸びていたらしい。軽便鉄道はわずか30年ほどしか利用されなかった。廃止の理由について沖縄博物館のナレーションを聴いてみると、「戦争で破壊された」と簡便な説明のみだった。ウィキペディアには朝鮮戦争による鉄不足のためレールが押収された、道路や基地の建設で鉄道が敷地された、とある。いくら戦争とはいえ、鉄製の線路の大半が跡形もなくなってしまうには、何か強制的な力が働いたと考えざるを得ない。

参考(沖縄を知るメディア)

www.nhk-ondemand.jp

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