Goodな生活

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環境エネルギー分野のシンクタンク職員です。統計学や計量経済学の学習メモ、読んだ本や映画、たまに登山や音楽の話。

ゆたかさとは有限であり共有できること『モモ』

読んだきっかけ

お世話になった先輩が愛読書だと語っていたのを聞き、読んでみることにした。小学校のときからこの本の存在自体は知っていたものの、なかなか読む機会がないまま大人になってしまった。書店で偶然手に取り、そのまま購入。

時間の価値をどのような軸で判断するか

時間の真実を知った主人公は、それを誰にも伝えられず、抱え込んでしまう。

 孤独というものには、いろいろあります。でもモモの味わっている孤独は、おそらくはごくわずかな人しか知らない孤独、ましてこれほどのはげしさをもってのしかかってくる孤独はほとんどだれひとり知らないでしょう。
 モモはまるで、はかり知れないほどの宝のつまったほら穴にとじこめられているような気がしました。しかもその財宝はどんどんふえつづけ、いまにも息ができなくなりそうなのです。(中略)それほどふかく、モモは時間の山にうずもれてしまったのです。

それは、もしほかの人びととわかちあえるのでなければ、それをもっているがために破滅してしまうような、そういう富があるということだったからです。

誰かと共有することができなければ、その莫大な容量に自分自身が押し殺されてしまう。ここから読み取れる時間の価値は、有限であること、もう一つは共有できること、つまり同じ時間を過ごす人間が存在して初めて、その時間は価値を持つ。モモの感じた孤独は、無限であり独占可能なものだと言い換えることができる。これら二つの性質は、一見人間の欲望そのものにも思えてしまう。有限と無限、共有と独占、ゆたかさとまずしさ。これらは時間の価値を判断するための軸なのかもしれない。

時間は貸し借りできるものなのか

以前、かなり高齢の老人が海で自殺したニュースを見たことを思い出した。自殺の理由は本人にしか分からない。でも想像することはできる。人より長く生きるということは、当然親しい人や同世代の人が亡くなるのを何度も見てきたことになる。決して良いことばかりではない。先に旅立たれる寂しさ、自分の生きた時代が過去のものになる寂しさに、人間は耐えられないのかもしれない。その孤独や虚無感を埋めるために、ちゃんと命に終わりがあるという安心感を与えるために、我々には寿命という機能が備わっているのかもしれない。価値あるものに終わりがあるのではなく、終わりがあるから価値がある。

あらかじめ地球には人間のための時間の容量が蓄えられていて、生まれたときに時間を借り、死ぬときに時間を地球に返し、新たな命がまたその時間を借りる、というサイクルを繰り返しているようにも思える。時間の容量の保存先が<どこにもない家>、そこから何らかの形で漏出した時間の行先が灰色の男たちの管理する<時間貯蓄銀行>ではないだろうか。本来であれば人間の寿命とともに、亡くなった命から新しい命に時間は引き継がれる。しかし中には寿命を終えたにもかかわらず、地球に何か未練や執着があり、引き継ぎを拒む命もある。そんな地縛霊のような魂が灰色の男達をおびき寄せ、借りた時間を返さないまま、踏み倒してしまったのかもしれない。

灰色の男たちと共存する人類

良いか悪いかは別として、本書からは、人間は灰色の男達と共存していく宿命にあるのだ、というメッセージを感じた。採集社会の到来による定住化や貨幣経済・資本主義の始まり等、様々なタイミングで既に灰色の男達は人類史に登場していたのかもしれない。あるいは未来で実装されるロボットや人工知能の一形態なのかもしれない。社会のシステムやテクノロジーと相互補完的に、人間は人間らしさを追求し、時に苦労しながら、達成感や生きている実感を味わうのだと思う。

物語の終盤では灰色の男達がすべて消滅し、彼らの管理下にあった時間が人間のもとに戻ってくる。忙しさは消え、誰もが時間の豊かさをたっぷりと享受する。もしかしたらここにはもう時間というものがないのかもしれない。何が言いたいかと言うと、秒や分や年などの単位は、お金や何か別のものと時間との交換可能性を担保するために、人間が作り出した幻想的なものでしかなく、本当は命の始まりと終わり、与えられた寿命のリレーが続いている、だけなのかもしれない。