Goodな生活

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2017年新卒で民間シンクタンク入社。学んだこと、読んだもの、考えたことの記録

【読書メモ No.14】沈まぬ太陽

沈まぬ太陽(一~五) 合本版

沈まぬ太陽(一~五) 合本版

きっかけ

先輩と飲みに行ったときに勧められてkindle版を購入。山崎豊子作品は初めて。

感想

第一、二巻「アフリカ篇」はかなり楽しく読めた。第三巻「御巣鷹山篇」の中盤あたりから急激に熱が冷めてしまい、途中で読むのを止めてしまった。

もっと幸せになる方法があったのではないか

「アフリカ篇」では、典型的な旧型の日本企業において、組織と個の信念との間で苦しむサラリーマンの姿が描かれている。長期雇用や年功序列制等が当たり前で、転職や成果主義的な考えがまだ浸透していなかった時代の話。上司との家族ぐるみの付き合い、妻と会話に登場する人事の話、などコテコテの会社人間ぶりに辟易する部分もある。とは言え、休日にゴルフに駆り出される証券会社の知り合いの話など聞くと、まだまだこういう世界も残っているのかもしれない。組織と個人の対立は、経営層と労働組合という形で描かれる。労働組合の代表である主人公は、経営層に突き付けた要求が無理難題だと解され、共産党(アカ)のレッテルを貼られた挙句、海外支店に左遷される。しかし闘うことを止めない。組合活動に関与しなければ出世は保証される、そう上司に言わしめるほどに主人公は優秀だった。けれど闘うことを止めない。そこまでして守りたかったものは何だ、ならば闘いたかっただけではないか、という気もしてくる。不条理と戦う同志への背信とかなんとか言わず、会社を辞めるという選択肢もあったはずである。共産主義をよく知らない自分のような読者からすると、共産主義=闘争・敵対を前提にした思想かと思えてしまう。問題を解決したいのではなく、問題を作り出さないと存在価値が薄れてしまう危うさを感じる。だとするとそれはそれで虚しい。主人公はもっと幸せになる方法があったのではないか。組織に蹂躙された、というよりも、組織の中で自らの情熱の矛先をずっと探し続け、その魂が彼をナイロビやカラチに向かわせたのではないか。死に場所を探しながらついに幸せになれなかった男の話、という印象を受けた。

組織と個人の対立の構図~闘争への欲望

この本が多く読まれたということは、一見、組織と対立してしまう主人公の姿が読者の同情・シンパシーを誘ったように思える。しかし実際は、同情というよりも、組織と対立するほどに自分の信念を貫きたいけれど、そもそも信念がないまたはそれを貫く勇気が出ない読者にとっての憧れ・羨望があったのではないかと思う。誤解を恐れずに言うと、自分の信念に従い理不尽な仕打ちを受けたかった人が多かったのではないか、ということだ。ひどい仕打ちを受けたくて受けたくて仕方がなかった。左遷されて家族と引き離される主人公が心底うらやましかった。これは企業の文脈、つまり労働者と経営者に限った話ではない。家族や地域社会でも当てはまる話だと思う。要は大多数の人にとって明示的な対立は経験し難いものだからである。組織に属する多くの人は対立が生まれる過程で自然と周りに合わせるようになる。物理的な乖離や具体的な処罰など目に見える対立はなかなか得難い経験だったと解釈する方が自然ではないか。ここに、人々の潜在的な闘争への欲望を見た。現在となっては色んな言動がハラスメントと名付けられつつあり、いわば容易に、社会的な認知を武器にして組織の理不尽を糾弾することも、(労働者の)権利を主張することもできる。闘うことが簡単になってしまった。闘争への欲望は、既に充足されつつある。こんな世の中だと、闘いたいのに闘えないとか愚痴言ってる人は単なる時代遅れでしかなく、もはや同情の余地はない。この同情のできなさ、対立を楽しむまでにグズグズ時間をかける面倒くささこそ、この小説の持つ”古さ”の醍醐味ではないかと思う。

なぜ会社を辞めなかったのか、については主人公のモデルとなった小倉寛太郎氏がインタビューで答えていた。
minseikomabahongo.web.fc2.com

あと、無性にキリマンジャロに行きたくなった。

日航ジャンボ機を描くのにフィクションは必要か

日航ジャンボ機墜落事故と遺族への対応の様子が描かれている。これまでも事故のドキュメンタリーや陰謀論めいた話を聞いたことがあった。そのためか真新しい内容はなく、あえて小説という形で読まなくてもよかったかなと思う。事故現場である御巣鷹山の尾根には慰霊碑が立っており、慰霊登山ができるらしい。事故の真相はどんなものだったのか、という詮索したい気持ちに駆られてしまい、小説に集中できなくなってしまった。この部分はフィクション、ドキュメンタリーの形で見たい。