Goodな生活

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2017年、新卒で民間シンクタンク入社。学んだこと、考えたことの記録。

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【沖縄・浦添】浦添ようどれ

アクセス

沖縄県浦添市ゆいレール那覇空港駅から浦添前田駅下車。徒歩10分ほどで到着。

覚え書き

浦添城(グスク)の跡地。小高い丘になっている。沖縄戦当時、上陸した米国軍と日本軍の激戦地となった場所。米軍は浦添城一帯をハクソー・リッジ(弓鋸の崖)と呼び、日本軍は前田高地と呼んだ。この戦闘の様子は映画「ハクソー・リッジ」に描かれている。とはいっても写実的な描写ではない。映画では崖は優に縦横100メートルを超える絶壁と、その先に広がる荒野が描かれている。しかし実際には、崖の落差はあるが、その先は芝生の生い茂った場所だった。たくさんの種類の亜熱帯植物も生えている。当時の写真を見ると米軍らしき戦車が走っているが、割と窮屈な戦場だったのではないかと思う。日本軍による怪我人や食料を格納するための壕の跡も残っている。

映画では描かれていないが、戦闘では両国の軍隊だけではなく、浦添の住民の約4割も犠牲になったらしい。近くの資料館では、当時を知る方のインタビュー動画が流れていた。まるで”ありったけの地獄を一つにまとめた”ような光景だったらしい。

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@ハクソーリッジ。眼下には市街地が広がる


浦添グスクは琉球の王統ともにその歴史を刻み、発展と衰退を繰り返しながら、沖縄戦で壊滅的な被害を受けた。現状の城壁はほとんど復元されたもの。当時、浦添グスク付近は日本軍の陣地として使われ、城壁なども採石されてしまったらしい。オリジナルはほとんど残っていない。北側の崖の中腹には、英祖王と尚寧王の眠る「浦添ようどれ」という王陵が存在する。英祖王は13世紀の鎌倉時代尚寧王第二尚氏)は江戸時代の王。浦添グスクはなかなか悲しい運命にあるらしく、1406年に王宮が首里に移転した以後荒廃、1609年薩摩藩島津氏の侵攻で焼き討ち、その後1945年の沖縄戦で破壊されている。

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崖に面して2つの墓が並ぶ

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復元された石積みの城壁


ところでこの「ようどれ」は琉球語で夕凪という意味らしい。静かで穏やかなイメージが「墓」を表す言葉として使われた。なんとも粋な古来の人の言葉遣いだろうか。

参考文献

沖縄の名城を歩く

沖縄の名城を歩く

  • 発売日: 2019/02/22
  • メディア: 単行本

ハクソー・リッジ(字幕版)

ハクソー・リッジ(字幕版)

  • 発売日: 2017/10/04
  • メディア: Prime Video