Goodな生活

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環境エネルギー分野のシンクタンク職員による統計学や計量経済学のメモ、読んだ本、たまに登山や音楽の話。

『EBPMの経済学』を読んで

EBPMの経済学: エビデンスを重視した政策立案

EBPMの経済学: エビデンスを重視した政策立案

  • 発売日: 2020/02/29
  • メディア: 単行本

冒頭の総説の部分のみ読んだ。日本でEBPMの議論が盛り上がってきた背景を知る。EBPMを進めることの良し悪しはさておき、仕事で統計学計量経済学を使う機会が増えそうなのは楽しみなことである。

メモ

日本の評価制度の最大の問題は、政策形成の最後の段階においてしか評価が義務付けられていないこと。公共事業については概算要求を出す段階で、規制評価においては政省令や法案を出す段階で、評価書を提出する。そうすると、決定した政策を正当化するための評価にしたいという強いインセンティブを現場の担当者に与えてしまう。EBPMではなくPBEM(Policy Based Evidence Making)になってしまう恐れが濃厚である。

すでに既存の政策評価の仕組みの中に、公共事業、規制、租税特別措置、研究開発、ODAの評価が入っている。補助金については政策評価の中に入っていないが、行政事業レビューの中で行われている。基本的にはこれらの評価におけるエビデンスベースを強化していく形でEBPMを推進していけばよい。

一連の取り組みを進める中で強く感じるのは、職員の「無謬性」のドグマ*1である。特に行政事業レビューで顕著だが、当事者自身が本当は納得していないのではないか、という苦しい言い訳を公開の場で行い、評価者から「廃止」などと判定されて、ある事業の命運が事実上尽きてしまうことがままある。(中略)無謬性などという神話を信じているのは当の職員だけなのではないかだろうか。(中略)そもそも目標自体が正しいのかということを考えるというEBPMの思考の基本ができず、既存政策における選択肢を正当化するための屁理屈を一生懸命考えることになり、折角の検討の機会を逃している。いかに職員の目を覚まさせるか。その意識改革が非常に重要である。

EBPMを統計等データの観点からだけで捉えるのは、政策立案プロセスを矮小化しすぎている。複雑な現象の中から、理論と整合するような事象をきれいに切り取ってきて、理論の含意を検証するのがミクロ経済学における実証論文での典型的なアプローチの一つであるものの、政策立案においてそのようなアプローチは、全体像を無視した的外れの政策立案をもたらしかねず、またステークホルダーの理解を得ることも概して難しいと想像される。EBPMは学術論文の執筆とは似て非なるもの。

【関連文献】EBPMの逆説

イェール大学・成田助教授によるEBPM論考*2がとても興味深い。そもそも「EBPMを導入すべき」という言説自体がエビデンスに基づいたものではない。

存在理由(レーゾン・デートゥル)は難問なのでどこかの政治家や官僚が与えてくれるものとして無視し、とりあえず測れるから測ってみたエビデンスが濫造されているのがEBPMの現状です。しかしこの現状が意味するのは、EBPMは政治家や官僚から与えられた目的にただ隷属しているだけの奴隷だということではないでしょうか。

ともすればEBPMの営業マンになってしまい、解くべき課題発見はすべて所与もしくはアウトソーシングの形になりえる。隷属という言葉からは、政策立案者と評価者間の明確な主従関係が示唆される。問題と方法はセットで注文するもの。潔く営業マンとして生きるのも手である。自分がどの立場で何をデリバリーするか、考えさせられる文章である。

*1:本文に慶應大学・土居教授の記事が参考文献として挙げられている https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=2934

*2:https://www.rieti.go.jp/jp/events/18121401/summary.html